
――KEKの史料室は、KEKのアーカイブを扱う専門性の高い仕事を任されています。…とはいえ、「あーかいぶ?」と言われてしまうこともしばしば。ピンと来ない人も少なくありません。自らの仕事を「もっとPRしなくちゃ、だめですよ」と励まされながらも、ちょっぴり地味な仕事でもあります。しかしながら、取材を進めていくと、同室の果たす役割は研究活動に欠かせない業務であることが見えてきます。歴代の室長始め、名誉教授やダイヤモンドフェローと呼ばれる当機構きってのベテラン研究者が退職後も関わり続ける理由もうなずけます。今回は座談会形式でKEKの財産を守ろうとする人々の信念を紹介します。
史料室のメンバー
中村 優子 / 室員☆
班目 麻衣子 / 室員☆
高岩 義信 / ダイヤモンドフェロー☆
関本 美知子 / ダイヤモンドフェロー☆
菊谷 英司 / ダイヤモンドフェロー☆
筒井 泉 / ダイヤモンドフェロー
坪山 透 / 研究員☆
鎌田 進 / 名誉教授
峠 暢一 / 名誉教授☆
野村 昌治 / 名誉教授☆
平田 光司 / 研究員・名誉教授☆
湯浅 富久子 / 研究員・名誉教授
高橋 理佳 / 室長 (広報室長との併任)
☆印:今回の座談会に登場するみなさんです
――今年(2026年)の5月に着任された班目さんからお話をうかがいます。史料室、いかがでしょうか。
班目:つくばにはたくさん研究施設がありますけど、「研究」と名のつくところで仕事をするのは初めてで…。わからないことばかりで、初めの頃は緊張しました。これまでいろいろな方々が研究されてきた資料を維持管理していくのですが、その複雑さや重要性など少しずつ実感している感じですね。「いついつの加速器がこんな風にできて…」とか「あの測定器は世界初の・・・なんだ」と聞いても、日本語とは思えないような響きばかりで(笑)。耳にしても文字に変換ができないので、後でこっそり調べて「あぁ、こういうことだったんだ!」という具合です。
――どんなお仕事から始められているんですか。
班目:資料の登録や保管からです。「資料」や「論文」自体、触れるのも初めてだったので、「ああ、これが論文というものか」としみじみ見つめてしまいます。紙の文献だけでなく、加速空洞とかモジュールなど実験で使われた「物」としての資料もあります。それぞれ、どんな役割を果たした物なのかを教えてもらいながら、保管しておくことの必要性を学んでいるところです。
――KEKの歴史や研究に詳しい先輩方ばかりですが、わかりやすく説明してくれるでしょ?
班目:はい。私の中のイメージでは、研究者の方々って、目の前にある数字などをじっと見ているような、あまり人と話をしないような硬い方々なのだろうなあと勝手に思い込んでいたのですが、室内の先生方は、実に気さくにいろいろな話をしてくださって、アドバイスもくださるし、とても助かっています。定例の打ち合わせなどでは議論が始まるとすごく盛り上がります。その様子を見ていると、議論を重ねてより良くしていこうという思いが伝わってきます。優しくて、楽しくて、尊敬できる方々です。
――ありがとうございます。設立当初のお話を高岩さんにおうかがいしたいです。初代の史料室長ですね。
高岩:そうです。史料室がオープンしたのは2004年4月、大学共同利用機関法人になった時ですね。資料の整理はすでに2002年くらいから始まっていて、当時の菅原寛孝機構長(名誉教授)から「昔のことを調べようと思ったら、資料が見つからないんだよ」という話があって、元副所長の高橋嘉右先生が「資料整理の事業を始めよう」と取り掛かったのがきっかけでしたね。
――ご自身は当時、どのようなお立場だったんですか。
高岩:たまたま暇にしていたんですよ(笑)。世界で初めて超伝導加速空洞を実用化したトリスタン加速器の実験でAMY(エミー)グループというところに所属していたのですが、ちょうど実験を終えた後で、家庭の事情があって新たな実験グループには所属していない時期でした。そんなとき、今も隣にいる平田(光司)さんから科学技術論的なプロジェクトに誘われて、それに関する資料を集めてたんです。平田さんは当時、総合研究大学院大学(以後、総研大)の教育研究交流センターに所属して、ビーム物理や科学技術社会論の研究をしていたんですよね。
平田:総研大のグループ研究にあった「大型装置科学の科学論」だったと記憶しています。米国のSSC (超伝導超大型加速器Superconducting Super Collider)計画が1993年に中止され、「素粒子物理学と社会の関係を真面目に考えなければならない」という気運が高まっていた時期でした。その教訓から、発表されたSSC関連の資料を高岩さんと収集していたんです。
高岩:高橋先生はそれをご存知だったようで、「(史料室の立ち上げを)手伝ってくれないか」と私に声をかけたようです。
平田:後に、菅原先生は総研大の理事に就任してから、各大学共同利用機関にアーカイブズの構築を促して、私も(総研大の教育研究交流センター長として)核融合科学研究所や分子科学研究所などと交渉をしました。高岩さんにも参加いただいた『大学共同利用機関の歴史とアーカイブズ』(図書室所蔵)などもその一環でした。今こうして史料室に関わっているのは、菅原先生が設立に関わったKEKの史料室ですから、そのお手伝いができればという思いがあるからです。科学と社会の関係、その問題意識には共通しているところが多くて、それが私の史料室活動のモチベーションになっています。
――立ち上げ時は、どんな作業から取り組まれたのですか。
高岩:即座に取り組むべきと思って取り掛かったのは、過去の議事録の整理でした。もう1つは、東京大学原子核研究所(核研)の資料整理でした。高エネルギー物理学研究所と統合することになった時、核研の田無キャンパス(現在・西東京市)は閉まることになり、そこに残っていた資料をつくばに移送したんです。その2つが史料室の最初の作業になりました。菅原先生やその前任の西川哲治所長の資料も預かり、整理しました。

――おひとりで、ではないですよね。
高岩:高橋先生をトップに作業部会を作って、私が下働き。そこに、現在、総務課にいる海老澤(直美)さんが入って、3人体制で始まりました。それがスタートの時代です。
――2年後、海老澤さんの後任で、中村さんが来られたわけですね。
中村:私が史料室に来たのは、高岩室長から関本美知子室長になられてからですね。班目さんと同じで、私も研究所で仕事をするのは初めてでした。もともと派遣で数人の社員と一緒に機構に入ったのですが、関本先生から「あなたはこっち、こっち」と呼ばれて。以来、ずっと居ついてしまった感じです(笑)。
――どんな仕事から始まったんですか。
中村:資料の引っ越し作業と配置図を作る作業でした。ちょっと離れた建物に移して、どこに何があるかわかるようにリスト化しました。勤めてしばらくは保管庫に閉じ込もってラベル貼りです。終日です、終日(笑)。
――なるほど。室長としては閲覧ということを意識されたわけですね。
関本:ええ。高岩前室長は「オーラルヒストリー」という退職した研究者の口述筆記に力を注いでいました。室長を引き継いで、そうした資料の評価や選別、資料のデジタル化と保存、公開する上での法的な基礎知識などが必要だと考えました。残念ながら当時、機構内にアーカイブの専門的な知識を持つ職員はいませんでしたからね。自然科学系分野の研究機関の史料室などとのネットワーク形成も進めたいと思い、史料項目の共通化と横断的史料検索システムも構築し始めていました。中村さんのラベル貼りはそんな作業の一端でしたね。
――関本さんは、アーカイブの見識はどのように身につけられたのですか。
関本:私自身、アーカイブについてはよく理解していなかったんです。ですから、室長に就いた後、国立公文書館で開催される「公文書館専門職員研修」という研修を目にして、「これはいい機会だ」と思って応募したんです。ひと月ほどの研修で毎日9時半から17時15分まで。まったく知識のない情報、それも膨大な量との対決ですから、それはそれはきつくて…。研修を受けている方々と帰りに(国立公文書館近くの)竹橋ビル地下のどこかに入っては、お酒を飲みつつ、その日の講義で不明だったところなどを閉店近くまで話し合う毎日でした。今でもそのうちの何人かとは交流を続けていますよ。
――研修の成果はいかがでしたか。
関本:法律的見識、資料保存に関することなど、私の前歴の実験的立場からは決して知る由もなかった知識を得ることができて、それを実践できたことが嬉しかったです。核研から膨大な資料が移送されたタイミングで、中村さんがラベル貼りをしていた実験棟の地下2階と、図書室の窓のない一角に保管庫を確保できて、史料室としての活動も本格的になってきたと感じました。どちらも日光が入らず、紫外線対策は抜群でした。公文書館研修で「蛍光灯はUVカット仕様が基本」と学んでいたので、すぐに実行しました。いい思い出です。
――まさに黎明期の光を感じますね。その後もアーカイブに関する研究会などに積極的に参加されたとのことですが、「史料委員会」の設置もそのあたりから生まれたわけですね。
関本:研究会などに参加して、規程がないことに気がつきました。「史料室規程」「史料室利用規約」などです。当時の下村理・担当理事や松岡啓介・核融合研アーカイブ室長、西山伸・京都大学大学文書館准教授、安藤正人・国文学研究資料館教授(アーカイブズ学会会長)、そして高橋名誉教授等を委員として、第1回の史料委員会を開催したのが2007年10月18日でした。特に参考になったのは西山氏のお話で、文書館独自の規程や資料取集の選択基準などを詳しく解説してくれました。

――中村さんが倉庫にこもって粛々とラベル貼りをしている間に、室長は3代目の菊谷さんに変わりました(2012年)。引き継がれた時には、史料室は、今の体制に近いものになっていたのでしょうか。
菊谷:そうだったように思います。関本さんの時代に史料委員会という体制が整えられて、中村さんが資料の選定などにも関わるようになっていましたね。私も設立当初からずっと出入りしたので、馴染みのある部屋でした。
――やはり、ご自身の研究に関わる調べ事などで?
菊谷:そうですね。資料を見ていると、自分の視野が広がり、研究に弾みがつきます。昔も今も史料室ならではの雰囲気というものもありますよね。加速器の仕事と史料室の仕事で直結したものがあったわけではないけど、もともと科学史に興味があったんです。既知のデータや情報を基に未知の状況を推定する「エキストラポレート」(extrapolate)という言葉がありますが、私たちは知識としては今の時点のことしか知らないけれども、「ここから先はどうなるんだろう」ということを知りたければ、これまでの流れを知っていれば先の見通しが立つという信念があるんです。目の前の研究をしながら歴史を、特に科学史をたどっていくと、例えば古典力学から量子力学が生まれたこととか、そのときにシュレーディンガー(オーストリア出身の理論物理学者)がどんなことをやったかとか、そういう話は自分の研究にとても参考になるし、何より面白くてねぇ。
――峠さんと野村さんは菊谷室長時代の担当理事だったそうですね。
峠:ほぼ同時期でしたね。鈴木厚人先生が機構長だった頃。情報資料室っていうのがありましてね。「(史料室と)両方を担当してください」と。
野村:そう。理事任期中に、ある機構会議での史料室の報告中に、放射光施設の資料を受け入れた記述を目にして、「これも必要な資料なの?」と思ったのが史料室の業務に興味を持つようになったきっかけでした。

――史料室のある建物の前に加速器の電磁石の展示がありますが、菊谷さんが設置に関わったと聞きました。
菊谷:室長になる前のことですが、私が史料室によく出入りしているのを知っていた当時の広報担当理事だった下村理さんから、加速器施設で使わなくなっている磁石があると聞いて、「史料室の近くに展示できないか」と考えたんです。でも、史料室には設置にかけるだけの予算が無いので、ちょっと知恵を絞って、他の磁石を運ぶときに便乗して運んでもらうことにしました。展示物そのものの移送より、どこに話を持っていって、どんな許可を取るかのほうがはるかにたいへんで、施設側と事務方(施設部)の指示系統を理解して動くとスムーズにいくことが身に染みてわかりました。なかなか面白い経験でした。
――5年前には国立科学博物館での企画展にも携わりましたね。
菊谷:「加速器~とてつもなく大きな実験施設で宇宙と物質と生命の謎に挑んでみた~」という企画展でした。つくばと東海(J-PARC)のいろいろな加速器の展示物を持ち込んで、講演会なども開きました。展示は3ヵ月に満たない期間だったのですが、打ち合わせは3年くらいかけてやりました。
――そして、KEKの『50周年史』の編纂では中心的な役割を果たしましたね。
菊谷:あの仕事は確かに面白かったですよ。詳細は原本をご覧ください。電子ブックでも見られますから、ぜひ。

2021年に国立科学博物館で開催された企画展
――史料室では、講演会や研究会も頻繁に開催していますね。
班目:一般公開では展示や講演会を行っています。今年は坪山先生が講師を務めました。毎年9月には自然科学系アーカイブズ研究会がありますから、その準備などで結構ばたばたします。開催は不定期ですが、史料室談話会というのも10年ほど前から行っています。
坪山:私は談話会に参加したのがきっかけで史料室と関わるようになりましたね。第2回(2018年)だったと思いますが、「江戸時代後期の日本の天文学」というテーマで素核研の上原貞治先生の講演が面白くて。
――アーカイブ研究会は、いつから開かれているんですか。
関本:私が室長になってから始めました。先ほどお話しした国立公文書館での研修に参加した翌年(2010年)が第1回。「自然科学系アーカイブズ研究会」という名付け親は私ですが、昨今では「長すぎる!」と不評のようです(笑)。なぜ、あえて「自然科学系」とつけたかというと、アーカイブズという領域はどうも文科系、歴史的研究が対象のように見えがちで、私たちの属している理学系では「資料を保管し次世代へつなぐ」という意識は当時ほぼ皆無で、「実験・解析して結果を論文に出せば終わり」でした(笑)。そんな思いが名称の発端でした。
――今年の研究会も盛況でしたね。
班目:はい。核融合科学研究所、総合研究大学院大学、国立極地研究所などのアーカイブ室などと連携して、毎回テーマを決めて年に2回ほど開催しています。今年は9月17日と18日に14人の専門家が登壇して発表を行いました(会の模様はこちらから)。

――閲覧についてですが、史料室は、当時も今も、誰でも利用できるんですか。
中村:事前に連絡をいただければ、どなたでも。利用者の多くは機構の役職員です。学生さんや地域の方にもっと利用してもらいたいと思っているのですが、なかなか広報が至らなくて。史料の価値をわかっている関係者ほど、「もっと利用してほしいな」と言います。シニアフェローの先生方などは特に、そういう思いが強いと思います。
――学術施設にはなくてはならない施設です。しかも、日本の加速器科学の中核を担う研究所の史料室ですから、その役割や価値はもっと広く知られてほしいですね。
菊谷:作った当初から史料室自体はあまり変化していませんが、外の世界が劇的に変化する中で、時代に合わせた対応が求められるのは確かですね。
中村:論文を書くための資料を見に来られる学生や研究者の中には、「どこでここにあることを知ったの?」と思うような調べ物で来る人もいます。先日も「放射線関係の資料を見たい」と大阪からの利用者がいました。「遠隔で資料の利用ができないか」という問い合わせもあります。
――日頃、史料の扱いで心がけていることはありますか。
中村:初見の段階で価値があるかないかを即断するのは禁物です。調査には研究者や当時の事情を知る方と一緒に行くようにしています。預かった資料は利用者にお見せする前に読み込み、個人情報など公開に配慮が必要な内容を確認してから利用できるようにしています。
――これまで扱った資料の中で、印象に残っているものはありますか。
中村:まだ完全に整理の途中ですが、高エネルギー物理学研究所の創設に貢献した西川哲治先生のご自宅からいただいた資料(保管箱250個)に非常に興味があって、ぜひ多くの人に見てもらいたいなと思います。今年亡くなった髙﨑史彦先生のご遺族からいただいた資料も紹介したいです。
――選定や保管という観点から少しお話を聞かせてください。
中村:基本的に研究者やそのご遺族などから寄せられる資料がほとんどなのですが、保管庫はほぼ満杯なので、すべてを受け入れるのは難しい状況です。一度下見に行き、選別してから受け入れています。市販の書籍や図書室で保管済みのものは史料室ではお預かりしません。判断に迷う物については、室内でよく協議して、ご本人やご家族の承諾を得て保管をあきらめる物もあります。寄せられる物もさまざまで、実験装置の図面や写真、映像記録も実験装置のものから建設記録、式典などのイベントの記録など。「トリスタン」と書かれたヘルメットや作業服もあります。時には看板などが来ることもあります。
坪山:私は断捨離ができない性分で(笑)、研究者として過去に関わった実験機器をいくつか持っていました。再雇用後もパートで仕事をしていますが、雇用が終了した後や、または病気などでKEKとの関係が途絶えたらどうしようという不安もあって、これらの「財産」をどうしようかと、3年ほど前に菊谷さんに相談に行ってから史料室の活動に協力するようになった経緯があります。他にも同じような境遇の研究者が少なからずいると思いますよ。
平田:同感ですね。資料を適切に保管することは、研究所にとって義務です。資料を通じて正しい歴史認識を持つのは日本の高エネルギー物理学の健全な発展にとって不可欠です。物理学では名古屋大学の坂田記念史料室とか基礎物理学研究所もかなりの史料を保管しています。
菊谷:史料室には図書室と似た部分があります。例えば、図書室で100年の間に誰も手に取らない本があるとします。史料室の資料も、あるからといって、それが必ず役に立つとは限りません。全然役に立たないと思っていたら、50年後に思わぬところで必要とされて役立つこともありえるわけです。今の世の中、すぐに役立つものが重視されがちですが、図書室の本にしても、史料室の資料にしても、すぐには役に立たない、永遠に誰も見ないかもしれない。史料室はそういうものを扱っているということを理解してもらいたいです。史料室の仕事は10年とか、100年くらいの長い目で見ないと真価がわからないものもたくさんあるんです。
野村:将来の方向性を探る時は、過去の歴史をきちんと学んでおく必要があります。その意味で、歴史資料は社会や政治、そして科学にとって重要です。KEKの組織運営や科学史の観点から、その重要性を考える必要があると思います。KEKの場合、大学等と比べて収納スペースは豊富ですが、紙から電子媒体へ移行が進む中、資料をどう選別するか考えておく必要があると感じますね。
関本:自然科学分野、特に私が属していた原子核・素粒子・宇宙線といった分野では、おそらくKEK史料室は国内随一の資料保管場所となっています。私が室長時代に実現できなかったことは、機構でのプロジェクトからの資料を史料室へ移管する仕組みづくりでした。特に、地球規模で参加する大きなプロジェクトの記録を冊子一つに遺すだけでは不十分です。例えば、大型検出器を改良する場合、どのような議論があってこの形になったのか、製作時にどのような問題点があり、どう解決あるいは改良したのか、という詳細な情報が必要になります。当時の担当技術者、研究者は停年などで連絡すら不可能となると、同じ試行錯誤を繰り返し、余分な経費や労力を費やさなければならない。「資料を一か所にまとめて保管できていたら…」と思うのは道理です。これこそ機構にとって、機構に所属する研究者や技術者にとって、また科学技術の発展にとって、史料室の大きな存在価値の一つではないかと思っています。
菊谷:歴史的に、科学的に価値があるかどうかと合わせて、行政的にも残さなければならない資料もありますよね。例えば、現在のSuperKEKBは、前身のKEKBを10年弱かけてアップデートした加速器です。こうした大型施設は、だいたい10年単位で予算を考えなければならない。その間に、KEKでも文部科学省でも担当者が替わり、新しい担当者は10年前の記録を見て判断することになるでしょう。普通の組織ながら一年ごとに更新、継承できるのでしょうが、10年に一度しか作らないとなると、継承には記録は欠かせません。科学的価値だけでなく、予算や計画をどう判断したかという行政資料も組織としてきちんと残す必要がありますね。
峠:総じて業務の内容や雰囲気は、私が担当理事をしていた2011年の頃とあまり変わっていません。扱っている資料やその価値、活気や賑わいも含めて。継続してよりよくしようという努力が続いている点では、非常に良いことですが、一方で、次の世代の職員への業務の引き継ぎというのが急務になっています。中村さんと班目さんを除くと、全員が定年退職済みのスタッフですからね。
野村:そうですね。きちんと史料を整理、管理する人材、資料の選別や史料を活用する人材が史料室には必要です。誰でもいいわけでは到底なくて、こういった事業に相応の関心を持った人でないと適切な仕事はできませんから、アーカイブに関心のある人材を発掘する必要があります。

峠:研究とは一歩離れているところの業務に見えるかもしれませんが、これからの研究組織には研究者それぞれの研究資料を社会的な財産として扱うことが研究者自身のキャリアにとって重要な要素になる流れを作ってもらいたいです。これからの科学者には、純粋な研究業務と、社会への貢献、研究の外の世界との相互関係を築くような仕事を行き来しながらキャリアを作る仕組みが必要だろうと思います。
高岩:海外の例になりますが、米国の高エネルギーの研究所はエネルギー省(DOE)の管轄になっているのですが、例えば、『Physics Today』を出版している米国物理学協会(American Institute of Physics, AIP)という組織があります。ここに物理学歴史センター(Center for History of Physics)という施設があって、高エネルギーの研究施設の関わる歴史的記録やデータの保存のあり方について提言が出されています。そのレポートにDOEの加速器研究所などでの記録管理にたずさわる専門のアーカイブ担当者を雇用する重要性が明記されています1。研究者や事務方の考えを調和させるということに加えて、独立した立場で「アーカイブ」というものを捉えられる人材、あるいは文書管理と連携させる役割が世界でしっかり構築されている中で、同じような人材がKEKでも求められていると感じています。現在は研究者が史料室に関わっていますが、アーカイブの仕事は事務方としての見方が重要です。研究者と事務方、それぞれの立場は異なっても、アーカイブについては協働することが必要です。アーカイブズの仕事を事務方が担うのが標準となっている世界の常識を考えると、史料室の活動を知り理解してくれる人材が、KEK始め、高エネルギー物理学の研究組織に増えてくれることを切に願わずにいられません。(了)
- 1990年代に展開された大規模調査の成果をまとめた『AIP Study of Multi-Institutional Collaborations: Documenting multi-institutional collaborations. Final report』(2001年刊行、全247ページ)などを参考にしています。AIP物理学歴史センターのDOEに向けた最終成果報告書はWeb上で広く一般に公開されています。同報告書の「フェーズ1」では高エネルギー物理学・加速器研究所への提言に言及しています。
・AIP Center for History of Physics HEP Collaborations Report 1(フェーズ1:高エネルギー物理学・加速器研究所)https://history.aip.org/pubs/collabs/hep-rp1.htm ↩︎