【KEKのひと#66】 今後は若い人たちに教えて一緒にワクワクしたい 松原 隆彦(まつばら・たかひこ)さん

居室にて

今回は素粒子原子核研究所・理論センター教授の松原隆彦さんです。松原さんは研究の傍ら20冊を越える著書を出版し、最近ではアウトリーチ活動も活発に行うなど多忙な日々を送っています。

まるでカフェのような居室ですね。ご自身のウェブサイトの「宇宙論カフェ」にレシピを掲載しています。10/4には、サザコーヒーひたちなか本店とおたさく商事、KEKとのコラボ企画のサイエンスカフェ、「宇宙の謎にせまる『ダーク』なブレンド」にも登壇していただきました。

この部屋のものは自費で少しずつ揃えました。私は理論物理が専門ですが、計量をきっちり行うのは実験に通じる部分がありますね。サイエンスカフェの件は、コーヒー好きということが広報室に伝わって声がかかったのだと聞いています。

実は、研究教育職を引退したら宇宙をコンセプトにしたカフェ経営をするのはどうだろうかと思いちょっと調べてみたのですが、赤字経営が必至になりそうです。

研究の最前線にいる立場でそのようなことを考えたというのは、驚きです。

これまでに研究でできそうなことはすでに十分やってきたという感覚があるからかもしれません。理論物理学を選んだのは実験とは違って場所の制約がなく、頭さえあればどこにいても自由にできるからですが、現代では、研究の規模が以前より格段に大きくなってきて理論が正しいことを証明してくれる実験はお金がかかり、なかなか以前ほど小回りの効く実験ですばやく理論が確かめられるとはいかなくなってきました。自分の研究結果が役立つところを見られないのは少しストレスがたまりますが、そんな時に一杯のコーヒーに救われることがあります。

今回のインタビューにあたり、数あるご著書の中の「文系でもよくわかる 世界の仕組みを物理学で知る」を読みました。大変理解しやすく、面白かったです。

カルチャーセンターで行う講座などを頼まれることが多いのですが、研究者が一般向けに話したり書いたりすると難しい話になりがちで、聴衆に合わせて適切な説明をするのが結構むずかしいです。その本の制作にあたっては編集者とライターに全面的に助けてもらい、私の話した内容を頭の中で消化してから家族に話し、そこからフィードバックを得てそれを本の構成に反映しました。

8月に大阪・関西万博でも作品が展示されたKEKの企画「アーティスト・イン・レジデンス」の件を詳しくお聞きしたいのですが、どのようないきさつで関わることになったのでしょうか?

「つくばサイエンスハッカソン」プロジェクト(つくば市主催)の一環でアートユニットの片岡純也さんと岩竹理恵さんがKEKの宿泊施設に滞在している間に得たインスピレーションから作品作りをするということで、最初に訪れたのがこの私の研究室です。

話をしているとき、ここにある手書きの数式の紙の束に興味を持った様子でした。滞在日程の最後にこちらの何枚かを作品素材に使いたいと申し出があり、自分用にコピーしたものを手元に残し、オリジナルの用紙をお二人に渡しました。その中の一部の数式がつくば美術館で開催された「つくばメディアアートフェスティバル2025」でも作品とともに展示されたのです。

ずいぶん大量にありますね。コンピューターが存在していなかった何十年か前の時代の研究者は手書きで計算式を書いたと聞いたことがありますが、現代のこの時代でも手書きなのですか?

これを見てみなさん分量の多さに驚きます。確かに私もひとつの研究でこれほど多くの計算用紙を使ったのは初めてですが、どんな研究でもいきなりコンピューターで何もかも計算できるわけではありません。コンピューターで計算する場合であっても、通常その中で使う数式はまず手計算で求めなければなりません。ここに書かれているのは、宇宙の始まりから今に至る宇宙構造の進化を数学的に表現した数式です。

それは知りませんでした。ところで、ウェブサイトで幼少期を東海村で過ごしたと書かれているのを見つけました。その頃のことを聞かせてください。

父が工学系の研究者だった関係で、小学3年生まで日本原子力研究所(JAERI、現JAEA)の職員住宅に住んでいました。近所には同世代の子がたくさんいて、夏はカブトムシを採りに行ったりして遊んだ思い出があります。当時のくぬぎ林は今ではすっかり住宅地になってしまいましたが、東海村にはノスタルジーを感じます。それからだいぶ後になって米国のジョンズ・ホプキンス大学で研究員をしていた時にJCOの原子力臨界事故が起きました。その時現地のニュースで東海村の地名「舟石川」が連呼されていたのが強く印象に残っています。

米国での暮らしはいかがでしたか?

大学がある都市の中心駅に降り立った時、駅から少し歩いてみたら不気味な静けさを感じて恐怖を覚えました。後で知ったのですが、治安がとても悪い地域でした。でも、住み始めてしばらくすると危険な場所と安全な場所の見分けがつくようになり、もともとそこで研究をやりたいという強いモチベーションがあったので、2年半そこで過ごして帰るときには、かなり名残惜しかったです。

「ロイ・ロジャース」という日本には進出していないハンバーガーチェーンがあります。テキサス風の印象があり、典型的なアメリカのお店です。その店では自分で具を自由に選べるのが気に入って、ひんぱんに通いました。フランス料理、中華料理、中東料理や韓国人が経営している日本料理店もあり、たまに各国料理の店に行くことで食生活は比較的充実していました。

東海村と米国滞在以外の時期についても教えていただけませんか?

東海村の後は長野県上田市に移り、高校卒業まで住みました。山に囲まれた農村地帯で、家の前すこし遠方に見える山に向かって大声を出すとやまびこが返ってくるのが面白かったです。冬には小学校に隣接した田んぼ一面に氷が張られ、毎朝登校後にそこでみんなで滑るのです。児童だけでなく教師も滑っていました。天然のスケート場です。

大学時代は京都で過ごしました。その後大学院に入って広島に1年だけ住んでから、今度は京都の宇治に住みました。宇治では茶道を学びはじめ、東京大学へ移って研究員や助手になってからも続けました。さすがに米国に移ってからは続けられなくなりましたが、帰国後の名古屋大学准教授時代に今度は書道を習いはじめ、結局名古屋大学には17年近く在籍していましたが、その間に師範の免許を取得しました。

宇治のお茶はおいしそうです。茶道だけでなく書道もたしなむとは、チャレンジ精神が旺盛ですね。近々ピアノのコンサートにも出ると伺いました。

習い事は昔から割と好きです。ピアノは高校生の頃まで習っていましたが、その後はずっと独学でした。つくばに赴任してからも電子ピアノを弾いていましたが、独学では限界があり、ふと思い立って体験レッスンに行ったら、腕の使い方をちょっと指導してもらっただけでうまく弾けるようになって、感動しました。それできちんと指導を受けようと思い、昨年から数十年ぶりにレッスンを再開したのです。

コンサートというほどのものではなく、素人が集まっていろんな楽器を演奏する音楽会です。KEKの元同僚が国立天文台にいて、そこの職員が出演する内部の音楽会に関わっている縁で、今年は特別に外部からの参加者として出させてもらうことになりました。下手でお恥ずかしいですが、シューベルトの即興曲を弾きます。

他に何かやっていることはありますか?                       

今年、上田市にある実家が空き家になったため、庭の手入れをしなければならなくなりました。人工芝を敷き詰めるか、中低木を植えて下に雑草が生えてこないように対策をしようか、建物をコテージ風に建て替えようか、などとあれこれ思案中です。秋は紅葉、冬は雪景色と姿を変える山々を見て育ったため、周囲に山がない暮らしは季節がわからずなんとなく落ち着かないです。いずれ長野県からそれほど遠くない場所に住み、別荘気分で定期的に足を運べる場所にしたいです。東京では遠くに富士山が見えるだけだし、ここは筑波山単体ですよね。

誰も住んでいない実家をメンテナンスしなければならなくなったときは、最初は負担に感じるところもありました。でも、それを逆に楽しみに変えて考えるように心がけています。

研究でもそうです。昔は無駄だと思っていたことが後になって役立つことが往々にしてあります。行き詰まって違うことをやってみると、以前は無関係だと思っていたことが役に立って案外うまく行くこともあります。何事も続けることが大事だと思います。

若い頃はバイタリティーがあっても経験値が少ないため、失敗が多いのです。年を重ねた今は、経験のおかげで失敗をしづらくなり、効率がよくなる代わりに新しい刺激が少なくなる傾向にあります。実家の改造計画もそうですが、ワクワクすることを求めてやって行きたいです。

近頃KEKキャラバン事業にも協力していただきました。反応はいかがでしたか?

埼玉県のとある小学校を会場に小中学生向けの講義を行いました。興味を持ってもらうことが第一だと思い、説明がむずかしくならないよう気をつけました。児童生徒にダークマターのある場所が示された宇宙画像を見せ、これがあるから重力の強さで星が集まって銀河が生まれ、それによって人間が存在できているのだという話をしたら、「ダークマターってかっこいい!」とすごく盛り上がりました。私自身も楽しかったです。

科学に関心を持たせるには、小学生から中学1年生くらいまでの、まだいろいろと先入観を持っていない時期がいいと強く感じました。中学校の終わりくらいにはなんとなく文系、理系に分かれてきます。そうなる前に最先端の科学の面白さに触れてもらうべきです。高校生では遅すぎます。私は教えることも好きなので、これからは小中学生を含むもっと若い人たちにも自分の経験を伝えていきたいと考えています。

カフェラテと抹茶をごちそうさまでした。本当においしかったです。お店が開けるレベルではないでしょうか?発想の転換の話も参考になりました。

国立天文台のコンサートでの演奏風景

  (聞き手:広報室 海老澤 直美)

関連する記事・ページ