【KEKエッセイ #40】小林・益川理論とピラミッドをつなぐもの

総研大ジャーナル2号(2002年)
総研大ジャーナル2号(2002年)


 

はじめまして。私は新聞社で長く科学記者として働いた後、名古屋大学で特任教授を3年半務め、昨年9月にKEKの監事に就任しました。KEKと名大とは深いつながりがあります。いうまでもなく、「小林・益川理論」でノーベル物理学賞を受賞した小林誠・KEK特別栄誉教授と益川敏英・名古屋大学特別教授は名大の出身です。論文を書かれたのは京都大学に移られてからですが、名大での研究が決定的な役割を果たしました。さらに、名大が2017年にピラミッド内部で大きな空洞を発見して注目を集めましたが、観測に使った技術は小林・益川理論とも関わりがあります。名大に先んじられはしましたが、KEKチームも別の方法でピラミッド内部の観測を行ったという縁もありました。過去から現在へつながりをたどると、大きな研究成果を生む背景が見えてくるように思います。(監事 辻篤子)

 

記者時代の忘れがたいインタビューがあります。今はなくなってしまった総研大ジャーナル2号(2002年)の特集「世界最強の加速器KEKBの挑戦」の中で、「小林・益川理論はどのようにして生まれたのか」をテーマに、小林先生にお話を伺ったのです。意外に思ったことは、小林・益川理論は2人が京都で書いた最初で最後の共同論文だったということでした。この論文を書いた後、益川先生は数学的な傾向を強め、2人の道は分かれてしまったというのです。大きな成果を生んだ名コンビは当然一緒と、漠然と思っていました。「相性がいいのですか?」との問いには、「よくわかりません。一緒にやったのはなんとなく。考え方は違うし、激論したこともあります」との答えでした。

 

益川さんは名大理学部の坂田昌一研究室で小林さんの5年先輩でした。大学院生だった益川さんが学部生だった小林さんたちの指導にやってきたのが最初の出会いで、「とにかく声がでかい人」という印象だったそうです。名大の素粒子理論の研究室は上下関係がなく、互いに「さん」付けで呼んで自由に議論するのが伝統でした。しかし、益川さんもさすがに坂田先生だけは「さん」と呼べなかったと後に聞きました。そうしたなかで、共に議論し、助手になった益川さんをリーダーにして一緒に論文を書いたりしていました。小林さんが博士課程のときに益川さんは京大に転じ、その後、博士課程を終えた小林さんも京大に移りましたが、益川さんを追ったのではなく、就職難の時代にたまたま京大に職があったからだそうです。再会して何か一緒にやろうと言って手がけたのが、CPの対称性の破れの問題でした。

2人で議論するなかで、まず、クオークが当時知られていた4個ではダメなことがはっきりし、出てきたのがクオーク6個というアイデアでした。「基本的な枠組みができれば、あとはロジックを詰めていくだけ」で、論文は2、3ヶ月で書き上げたそうです。2人の関心が合致していた短い時間に理論は完成を見たことになります。

 

私は名大で小林・益川理論のいわば前史に触れる機会を得ました。ちょうど、名大の素粒子宇宙起源研究機構長を益川先生、次いで小林先生が務めるという巡り合わせにも恵まれました。私の仕事は大学を記者の目で見ることで、「名大ウオッチ」というタイトルのコラムを大学のホームページに書きました。最初に取り上げたテーマがノーベル賞でした。名大には、物理学賞では小林・益川両先生のほかに赤﨑勇、天野浩の両先生、そして化学賞では野依良治、下村脩の両先生と、多くの受賞者がおり、その背景を探りました。小林先生たちと、クラゲの蛍光物質を発見した下村さんとのダブル受賞を記念する2008ノーベル賞展示室は、物理学の「坂田スクール」と、野依、下村の両先生の師である平田義正教授が率いた化学の「平田スクール」を中心とする展示となっていて、若手を触発する指導者の存在の大きさを教えてくれます。理学部に新しくできたホールの名も「坂田・平田ホール」です。坂田スクールの展示には、大学院生の益川さんが、後に名大総長となった宇宙物理学の権威の早川幸男教授に相撲で勝って肩車され、うれしそうにガッツポーズしている写真もあり、物理学教室の自由な雰囲気を象徴する1枚と説明にありました。

 

コラムではもう1度、小林・益川理論に触れました。タイトルは「原子核乾板という名のフィルムの復権」です。ピラミッドの中の空洞発見のニュースに関連し、ミューオン粒子の観測に使った原子核乾板を、メーカーが製造をやめた後も理学部のF研(基本粒子研究室)が手作りしてきたことを紹介しました。ちなみに小林先生たちはE研(素粒子論研究室)の所属でした。原子核乾板はカメラのフィルムに当たり、飛んできた粒子で「感光」させます。デジタルカメラ全盛時代にあっては時代遅れのようですが、解像度が高いことが何よりの利点です。読み取り装置も開発して、世界でも例のない最先端のシステムを作り上げました。

 

原子核乾板はその名の通り板状で薄く、狭い空間でも置くことができます。電源も不要です。その結果、「ハイテクのライバルに先んじた」と記事にはサラリと書きましたが、ライバルとはいうまでもなく、デジタルの最先端装置を持ち込んだKEKの高崎史彦名誉教授を中心とするチームです。高崎さんは、小林・益川理論を検証したBelle実験のリーダーとしても知られています。

 

F研の原子核乾板を使った観測を遡れば、丹生潔教授による4番目のクオークであるチャーム粒子の発見があります。これは学界でもすぐには認められず、世界的にもクオーク3個とされるなかで、名大グループはクオーク4個を前提として研究を進めました。小林先生たちが京都でクオーク4個から議論を始められたのも、名大にいたからこそ、です。優れた観測手段としてF研が原子核乾板にこだわり続けるゆえんでもあります。実は、その有用性を見て、メーカーが今、関心を寄せ始めてもいるそうです。

 

小林・益川理論の背景には、名大の自由な環境で切磋琢磨したこと、4番目の粒子が発見されたことがあり、そこに、京都でたまたま再会したという偶然が加わりました。そのいずれが欠けても、理論は生まれなかったかもしれません。必然と偶然の競演といえるでしょうか。

ちょっと付け加えると、たまたま「小林誠」という名前のシェフが腕を奮うフレンチレストランを名大から程近い所で見つけました。記者仲間との歓談に益川先生をお招きしたところ、思いがけない「小林・益川」の対面に先生は驚き、「今度会ったら、料理もできるんだねと言わなきゃ」と大いに楽しんでいただきました。小林先生もぜひお誘いしたかったのですが、日程の都合で果たせず、大いなる心残りとなりました。

 

偶然といえば、世界を一変させたゲノム編集の研究で昨年のノーベル化学賞を受賞した欧米2人の女性研究者の場合も、偶然の出会いが大きな役割を果たしました。
米カリフォルニア大バークリー校のジェニファー・ダウドナ博士は、プエルトリコで開かれた学会のカフェで、当時はスウエーデンの大学に所属していたエマニュエル・シャルパンティエ博士を、一緒にいた同僚に紹介されました。実は、ダウドナさんはかねてシャルパンティエさんの論文に注目しており、シャルパンティエさんもダウドナさんとの共同研究を提案すべく連絡を取ろうとしていて、そんなおりの「運命的な出会い」(ダウドナさん)でした。翌日、2人は散歩しながら意気投合、共同研究を始めることになりました。

 

ダウドナさんは著書に、「クリスパー(CRISPR)という言葉を初めて聞いたときのことは、決して忘れない」と書いています。今ではすっかり有名になったゲノム編集の鍵となる特殊な配列のことですが、同じ大学にいた面識のない女性教授からの電話で聞いたとき、綴りもわからなかったそうです。関心を持って研究を始めて5年後、シャルパンティエさんと出会いました。必然のレールが敷かれていたとはいえ、カフェでの出会いという偶然が大きくものを言ったことは間違いありません。その後、メールのやりとりだけで大西洋をはさんで研究を進め、双方のチームが顔を合わせたのは1年後、歴史的な論文をまとめるときでした。生命科学研究のスピードにも驚きます。ダウドナさんは、シャルパンティエさんに加え、最初に電話をくれた女性教授を恩人として挙げています。

 

偶然はときに、思いがけない展開をもたらします。もっとも、パスツールが言ったように、「幸運は用意された者の心に宿る(Chance favors the prepared mind)」ことも事実でしょう。

 

これからは、KEKでの研究の展開を大いに楽しみにしたいと思います。記者の目でまた報告ができたら、とも思っています。どうぞよろしくお願い致します。

 

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