【KEKエッセイ #36】私たちは素粒子の海の中で暮らしている

KEKの北、筑波山の麓にある椎尾山薬王院の池。池のメダカたちは水の存在を感じているのでしょうか。(2020年11月19日 写真撮影:MITSUKO)
KEKの北、筑波山の麓にある椎尾山薬王院の池。池のメダカたちは水の存在を感じているのでしょうか。(2020年11月19日 写真撮影:MITSUKO)
ニュートリノ天文学の開拓で2002年のノーベル物理学賞を受賞した、小柴昌俊先生が11月12日に亡くなりました。このニュートリノという素粒子は、いったん生まれると寡黙なまでに飛び続け、周囲とほとんど相互作用をしないので生まれた時のまま光速に近い速度で飛び続けます。つまり、138億年前の宇宙の始まりのころに誕生したニュートリノが、当時の情報をもったまま、いま私たちの身の回り飛び交っているということです。ほら今、138億年前のニュートリノがあなたの体を通り抜けていったかもしれませんよ。(素粒子原子核研究所研・三原智)

私たちは空気の海の底に住んでいます。でも、よほど高い山に登って空気の薄いところに行ったりしない限り、日々の生活で空気を感じることはありません。水の中に暮らす魚も水を感じることはないでしょう。さらに、内部も含めて地球は常時、大量の素粒子にさらされており、いわば地球上のすべての生物は素粒子の海の中で暮らしているとも言えます。身の回りにたくさんあって、見ることも触ることもできない不思議な素粒子。さて、私たちの身の回りには、どんな素粒子がどれくらい飛び交っているのでしょう。

素粒子はとても小さいので目で見る(素粒子からの光を目で捉える)ことはできないし、大量に体を通り抜けているのに私たちの体はそれに気づくこともありません。手のひらに毎秒約10兆個のニュートリノが太陽から降り注いでいますが、私たちがそれに気づくこともありません。

電子の仲間に電子と性質はほとんど同じで、質量だけが約200倍重いというミューオンという素粒子があります。このミューオンも手のひらにだいたい毎秒1個ずつ降り注いでいますがこれも私たちが感じることはありません。

どうしてこんなにたくさんの素粒子が私たちの体を通り抜けているのに、それに気づかないのでしょう? また、どうやって研究者たちはそんな何でも通り抜ける素粒子を計測、実験しているのでしょう?

基本的な現象に戻って考えてみましょう。私たちが壁に手をついた時、手は壁をすり抜けないけど、水面についた時は水中に沈むのは何故か。そんなことを考えると何か手掛かりがつかめるかもしれませんね。

壁も私たちの手もどちらも「固体」です。個体を構成する原子、分子は並び方が常に同じ位置に留まろうとします。さらに、それら原子、分子を取り囲むようにして電子が雲のように散在します。壁という個体に手という固体を近づけると、それぞれの原子、分子の周りに存在する多くの電子同士が反発する結果として手が壁をすり抜けることができないのです。マイナスの電気のかたまりとマイナスの電気のかたまりが反発しあうためです。一方、水面に手が沈むのは、水分子のつながりがゆるいためその配置が滑らかに変わり、電子同士の斥力が働かず水中に手が沈むのです。

では素粒子の一種の電子が壁に突き進むとどうなるのでしょう。壁の中に原子や分子がきちんと並んでいるので、外から飛んできた電子はその壁の中の電子の電気的な力で跳ね返されることが起こります。ただし、電子同士が反発して手が壁にのめり込まない場合と比べると、電子一個が感じる跳ね返す力は小さく、壁の中まで入ったり、薄壁を通り抜けたりできます。電子の仲間のミューオンも同様です。ただ、電子より200倍重い分だけ電子より壁を通り抜けやすいという特徴があります。

電荷をもった一個の素粒子はほんの少し物質から影響を受けます。この力を電磁気力といいます。この力がほんとうに小さいので私たちの体をすり抜けても何も感じないのです。注射で太い針ならすごく痛いのに、極細の針だとほとんど痛くないのと同じです。

そんな素粒子を研究者たちはどうやって調べているのでしょう。どうやってその存在を知ることができるのでしょう。素粒子を直接見られないのなら、それが通過した跡を見ればいいのです。例えば飛行機雲です。上空高く飛ぶ飛行機の姿は直接目で見られなくても、その通過後の飛行機雲を見れば、どこをどう飛行したのか分かります。

この原理を使って素粒子の通った飛跡を可視化する装置が泡箱です。透明な窓がついた容器の中に液体を沸点よりも温度の高い状態にしておきます。ここで電気を持った素粒子が通過すると、少しだけ影響を及ぼしてエネルギーを落とします。そのエネルギーが種となり、素粒子が通った場所の液体が気体と変わって泡ができます。この泡の連なりを写真に撮ることで素粒子の飛跡を計測できるのです。現在、このような装置は大きな進化を遂げ、泡の撮影という光学的方法で飛跡を捉えるのではなく、少しだけ落ちたエネルギーを増幅して電気信号として読み出してコンピュータで高速処理します。

泡箱を使うと放射線の動きを可視化できるが、ニュートリノは荷電粒子ではないので見られない。

課題もあります。こうして観測できるのはプラスやマイナスの電荷を持った素粒子だけです。素粒子には電荷を持たないニュートリノといわれる素粒子があります。ニュートリノは電磁気力の1000億分の1以下というとても微弱な「弱い力」だけを感じる奇妙な粒子です。電荷をもった電子やミューオンはいわばおしゃべり好きな素粒子です。分厚いコンクリートの壁に入るとコンクリート中の電子とおしゃべりばかりをしてエネルギーを失って止まってしまいます。ところがニュートリノは「弱い力」だけを感じる寡黙な素粒子なのでどんどん物質を通り抜けて、地球すら、いや太陽すら通り抜けることができます。おかげで、太陽の中心付近でできているはずのニュートリノが太陽を突っ切って外に飛び出し、地球にまで到達することができるのです。

これが最初に紹介した、10兆個のニュートリノが私たちの体の周りを飛び交っている源です。こんなにたくさん降り注いでいても、感じる力が弱すぎるので測定は困難を極めます。その詳細がようやく計測できるようになったのは、地下に巨大な水槽を設置し、そこでニュートリノがごくまれに反応した時に発せられる微弱な光を高感度の光センサで捉える「カミオカンデ検出器」と、それに続く「スーパーカミオカンデ検出器」のおかげです。そこでの研究で小柴先生と梶田先生がノーベル賞を受賞されたのはまだ記憶に新しいことです。

ニュートリノ天文学の幕を開けたカミオカンデ検出器は最初、陽子の寿命を測定する装置として開発されました。しかし、陽子の寿命が長すぎてこの装置では測定できないことが分かり、小柴先生のグループはただちに実験装置を改良してニュートリノの測定を始めました。ノーベル賞受賞のきっかけとなった超新星爆発SN1987Aからのニュートリノの観測は、まさにこの直後の出来事でした。このことについて「小柴は運がいい」と言う研究者仲間もいたそうですが、小柴先生は「運(ニュートリノ)はみんなのところに平等にふってくるんだよ。それをつかめるかどうかは周到に準備しているかどうかなんだ」といつも言われていました。研究を進めていくうえでとても大切な教えだと肝に銘じています。

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