.jpeg)
今回は、国立天文台の教授であり、以前所属していた素粒子原子核研究所理論センターでも引き続き研究を続けている郡 和範客員教授に話を聞きました。
2023年にも前任者のインタビューによる「KEKのひと」に登場していただきましたが、その時は国立天文台に移る直前でした。あれから数年が経過しています。国立天文台に移られて、KEKに常勤として在籍していた頃とどのあたりが変わりましたか?
国立天文台はハワイのすばる望遠鏡とチリのアルマ望遠鏡を持つことでも有名な日本の宇宙研究の中枢機関ですが、重力波観測のKAGRA(カグラ)、イベント・ホライズン・テレスコープ(EHT)の解析チーム、将来計画である30メートル望遠鏡(TMT)プロジェクトなど基礎物理学に関係したプロジェクトも擁しています。KAGRAは東京大学宇宙線研究所が国立天文台やKEKなどと協力して進めている重力波望遠鏡です。KEKがBelle実験で小林・益川理論の正しさを実証したのと同じように、国立天文台も理論を観測により検証する研究機関だと思っていただけると、その類似性が見えてくると思います。
例えば、将来、すばる超広視野多天体分光器(PFS)やTMTでは、ダークマターやダークエネルギーの性質を直接観測で明らかにしようという計画があります。また、LIGO(ライゴ)-Virgo(バーゴ)-KAGRAの共同研究ではブラックホールからの重力波観測により量子重力理論のヒントをも得られる可能性があることなどから素粒子物理学出身の方も多数参加されています。そういう意味ではKEKと目的は似ていますが、手段が異なる研究機関です。
私の研究テーマはインフレーション、ダークマター、ダークエネルギー、ブラックホール、重力波、宇宙マイクロ波背景放射(CMB)などです。インフレーションとは、ビッグバンの前に宇宙が急膨張を起こしたとする理論です。インフレーションの後でビッグバンが発生し、光が満ち満ちた火の玉が生まれたと考えられています。重力波はアインシュタインが一般相対性理論で予言した時空のさざ波のことで、重い質量を持つ物体が球対称からずれて縦横に激しく運動する際にその時空(時間と空間)のゆがみが波のように伝播する現象を指します。宇宙マイクロ波背景放射は、宇宙のどの方向からも、ほぼ等しく観測される電波です。この光が観測されてビッグバンの存在が証明されました。私の専門である宇宙を通して新しい物理学を検証するという研究手法が必要だということで呼んでいただきました。
この4月から6月までテレビで放送された車椅子ラグビーのチームと宇宙物理学者の交流を扱ったドラマの初回で、ご自身が研究している理論の一部が放映されたと伺いました。私も偶然その回を観たのですが、原始ブラックホールがダークマターになるという、自分が知っている仮説とはかなり異なる話だったので、ドラマならではの荒唐無稽な作り話かと思ってしまいました。具体的に説明していただけますか?
現在、私のグループが特に力を注いでいるテーマの1つがダークマターの問題です。ダークマターの正体が何なのかについて、世界中の学者から多くの候補が挙げられていますが、私たちのグループは宇宙誕生直後にできた地球の質量よりもっと軽い原始ブラックホールではないかと提唱しています。将来の重力波やガンマ線の観測により原始ブラックホールがダークマターであると証明できると提案しています。原始ブラックホールは、バーナード・カー博士やスティーブン・ホーキング博士らが提唱した概念です。宇宙初期にインフレーションなどでつくられた密度ゆらぎから形成されたと考えられています。通常のブラックホールは、重い恒星の死後に超新星爆発によって形成され、その質量が太陽の質量程度か約10倍までだと考えられています。しかし、原始ブラックホールは、まだ観測されておらず、質量の予想に幅があって、太陽の質量よりずっと軽い場合や、太陽の質量の10倍以上でも可能であることが特徴です。
あのドラマでは、研究会でポスドクの女子学生が原始ブラックホールがダークマターになる説をプレゼンテーションしている場面として扱われています。堤真一さん扮する主人公・伍鉄文人が、発表中に割って入り、その質量ではホーキング輻射により蒸発してしまっているはずだと指摘するわけです。これは、正に私達のグループが世界で初めて提唱したことなのですが約一千億トンより重い原始ブラックホールのダークマターじゃないと、蒸発してガンマ線を放射することから観測と矛盾してしまうのです。
2015年に米国のLIGO実験により重力波が観測されて以来、太陽の質量の30倍以上のブラックホールが存在することがわかってきました。その後、2019年に日本も参加したイベント・ホライズン・テレスコープ(EHT)の電波望遠鏡の観測では、史上初めてブラックホールの影の撮影に成功しました。
では、なぜ重力波がダークマターと原始ブラックホールとの関係証明につながるのでしょうか。ダークマターとブラックホールはどちらも光を出さず、直接見えないという共通点があります。先ほどお話ししたように、重力波はブラックホール同士が衝突・合体する際に時空がゆがんで発生するものなので、その観測結果を分析することでダークマターの理論と一致するかどうかを検証できます。ダークマターとなる原始ブラックホールの質量は逆に地球質量よりずっと軽く、今のLIGO-Virgo-KAGRAの実験では検出できません。
今年1月、原始ブラックホールの生成量の計算を根本的に改善した業績に対して日本物理学会論文賞を他の研究者と共同受賞しました。今後、LIGO-Virgo-KAGRAを発展させたヨーロッパに建設予定の次世代重力波実験アインシュタイン・テレスコープ(ET)で、ダークマターとなっている原始ブラックホールからの合体シグナルを観測できると期待しています。

かつて「KEKエッセイ」の連載で何度か執筆を担当していますね。その中で、科学をベースにした小説を書いている伊与原 新氏の短編集『月まで三キロ』(新潮社)に言及している部分がありました。失礼ながら物理学者、それも宇宙物理が専門となると世俗的な物事には無関心だろうと思い込んでいたので、一般向けの小説を読んだというのは意外でした。
研究者だからといって、科学以外に興味を持たないわけではありません。もちろん、私自身も仕事が楽しくて休みの日でも研究したいとは思っていますが、小説を読んだり、ドラマを観たりもします。
伊与原さんは、科学になじみのない読者がどうやったら興味を持つようになるかと工夫を凝らしていると思います。それに作品の中に独自の見解を織り込んでいますね。
確かに、私も『月まで三キロ』に収録されている『エイリアンの食堂』は、科学と無縁なところから連絡が来たのがきっかけで読みました。内情を知る研究者から見た感想はいかがですか?
作中、KEKで働いていた女性は、任期満了とともに新たな場所を求めて去って行きます。世間ではあまり認識されていませんが、博士課程を修了しても科学者としてやって行けるのはほんのひと握り。理論分野だと採用が100人に1人の倍率ということさえあります。あの小説は、生き残りが難しい研究の現場の厳しい現実を描いています。世の中にそれを知ってもらうのはとても大事なことだと思います。
そうですね。このあたりで趣味について話していただけますか?
趣味の中では、最近はもっぱら半年に1度くらいのペースでステージに立つことを目標にサクソフォンの練習くらいしかしていません。昨年10月に行われた国立天文台のコンサートでも演奏しました。クラシックの曲もあったのですが、評判が良かったのはT-SQUARE(ティー・スクェア)の「宝島」とか、テレビアニメ「ルパン三世」のテーマなど、おなじみのナンバーでした。

また、子どもの頃から生き物にも関心があります。本格的なバードウォッチャーではないですが、KEKはバードウォッチングに適した環境ですね。コロナ禍で外出を控えてKEKの居室で仕事をしていた時、キツツキが木を叩く音が聞こえて来たのは思いがけない体験でした。暗くなりがちな人々の心を少しでも癒すことができたらとの思いで、そのエピソードをエッセイに書きました。
なるほど。かと思えば、難解で知られる哲学者イマヌエル・カントの理論に挑戦したエッセイがあります。なぜカントに興味を持ったのですか?
カントは著書『純粋理性批判』で科学の限界に関して自説を主張しています。もともと、自然科学は哲学から派生した学問ですが、科学者と哲学者・宗教家の間では論争が絶えず、対立は昔からありました。それで私もカントに関するエッセイに挑んでみようと思い立ったのです。
カントによれば「宇宙に始まりがあるか」、「物質の究極の構成要素は存在するか」といった疑問は、科学をもってしても人間の理性では判断がつかない「二律背反(アンチノミー)」の状態です。
宇宙の年齢については、ビッグバンが起こってから現在までに138億年が経過しているというのが観測的に定説になっています。そうすると宇宙は有限ということになります。しかし、前述の通りその前にインフレーション期があり、インフレーションの前は泡のように宇宙が誕生したとの説もあります。泡の誕生時には、宇宙には虚数時間が流れていたと解釈されます。その場合、宇宙の始まりがいつなのかを実数の時間で測ることすら難しくなるわけですね。
物質の究極の構成要素の問題ですが、カントが生きた18世紀にわかっていた最小の単位はデモクリトスの原子でした。今では原子は原子核と電子から作られ、原子核を構成する陽子や中性子ですら、素粒子であるクォーク3個とグルーオンから成り立つことまで実験で証明されています。ですが、この先もっと小さい素粒子が見つからない確証はありません。
その他、「自由な選択に原因があるか」、「この世に必然的な存在はあるか」についても同様です。科学が進歩すればするほど解答に近づけるかと思いきや、さらに新たな疑問が生じる結果となり、容易に答えに辿りつけなくなっているのです。
あのエッセイの結論を読んだ時、もし哲学に反論できないとしたら、その段階で科学に絶望してしまうのではないか、それでもその後研究を続けていけるものなのかと不安に思いました。その点はどうなのでしょうか?
絶望することはないと思います。なぜなら、私はたとえ今はできなくても、将来技術が進んできっと新しい科学的展望が拓けると信じているからです。実験手法、観測方法が時代とともに進歩すれば、それまでできなかった理論の裏付けを得ることが可能になる、そこが科学独自の特徴だと思っています。
前向きで素晴らしい考え方ですね。研究機関で何年も働いていながら、自分が科学者に対してある種の偏見を抱いていたことを痛感した次第です。貴重な気づきを与えていただき、ありがとうございました。
(聞き手 総務課 海老澤 直美)