【KEKのひと #53】 「数学は自然を記述している」 郡和範(こおり・かずのり)さん

「数学アレルギー」を持つ人が多い。私もその一人だ。ただその数学によって、宇宙の始まりに何が起きたのか、この先の宇宙はどうなるのか知ることができるなら、それはとても面白い。KEK素粒子原子核研究所准教授の郡和範さんの宇宙の謎の探究は、物理学の世界では珍しく数学を学ぶことから始まった。郡さんは、宇宙の未来をどう見るのか?

まず物理の理論に進んだきっかけをお伺いしたいと思います。

「私は数学科卒業なのです。強く志望して儀我美一(ぎがよしかず)さんの研究室に配属されました。解析という分野で卒業研究を見ていただきました。卒業後、物理学科の3年生に学士入学したため、6年間で2つの学科を卒業したことになります。両方のコミュニティーで過ごしたこともあり、なんとなく分かるようになった気がするのですが、物理学や工学の分野で言う『数学』と、数学科の『数学』とは似て非なる部分が極めて多くあるのではないかと思います。

簡単に申しますと、物理のほうは自然を記述する道具としての具体的な数式の定式化や、そのトレーニングとしての学問を指して数学と呼ぶ場合が多いような気がします。その一方、数学では、自然などからヒントを得た数に関する法則を一般化させて、より広い抽象的な概念に広げる体系を作ることに、より価値があるとしているように思われます。後者の場合、その体系が現実の自然を記述しているかどうかは、それほど気にしていないかのようにも思われます。

数学ができるとは何か?という点についても、その違いは現れているように思います。例えば、流体の微分方程式などを例にとると、物理学や工学の分野では、その解を近似的にでもよいので巧みな方法で素早く解く能力などや、その解の物理的な振る舞いをよく理解することなどが「数学ができる」と言われているように思います。数式の変形の正当性の証明はあまり重要視せず、実験や観測と比較して、結果論として解の正しさに白黒つけているという立場のように思います。

その一方、数学では、その方程式に解が存在するのか、そして、その解が一意的なのかどうかを証明することに最も意味があるとするようです。具体的な解の形やその振る舞いの理解は二の次で、数学的に無矛盾な証明を一つ一つ丁寧にできることこそ数学ができることだとされる傾向があるのではないかと思います。数学科の数学には、一つ一つの手順を証明するための道具がすべて備わっている点が、物理学や工学の数学とは大きく違う点ではなかろうかと思います」

数学の一意性は数学でしか証明できないということになりますよね。

「物理学では、例えば式変形の途中で証明なく微分と積分の演算の順序をひっくり返して進んでいったりすることがあります。性質のよい関数しか扱っておらず、結果的に観測・実験とも合っているので、そうした荒っぽい式変形も問題視されないことがほとんどのようです。そのため、細かい証明は抜きにして一足飛びに議論を進めるという利点もあります。

しかし、数学では、どんなに単純なセットアップでも、本当にそうした演算をひっくり返してもよいかどうか、一つ一つ証明しながら進みます。証明の手順は、正しい数学を学んでさえいれば、初学者であっても原理的に正しいかどうか判断できるのです。その代わり、論理を進めるスピードは物理学のそれよりずっと遅くなり、強い結論が得られる問題も限定されるのかもしれません」

自然のどこに興味があったのですか?

「宇宙です。佐藤勝彦さん訳による英国のスティーブン・ホーキング博士関係の一般書を読み、『自然は数学で記述されている』ようなことが書かれていたことから、数学を極めることが宇宙の理解を深めることだと単純に思っていました。純粋数学はもっと価値観が高くて、自然にヒントを得て、より一般化・抽象化させることが目的の一つだというのはそのとおりです。より物理学的に宇宙を理解したくて、その後は物理学科に学士入学しました。その流れで、大学院も物理学専攻に進みました」

現在のメインの研究はどのようなことでしょう?

「ビッグバン元素合成、ダークマター、初期宇宙のインフレーション、重力波、宇宙初期の量子ゆらぎ、ブラックホール、ニュートリノ、宇宙マイクロ波背景放射、ダークエネルギー、宇宙線…などがキーワードです。大きく分けると、宇宙の初期の頃の謎の研究か、今の宇宙の高エネルギー現象に現れる謎の研究かに分けられます」

ダークマターとダークエネルギーが違うことがわかるのはなぜですか?

「ダークマターは引力を及ぼし、ダークエネルギーは反発力を及ぼします。そしてそれぞれが宇宙膨張に与える影響の違いから区別することができます。現在の宇宙全体のエネルギーの寄与において、我々が目で見ることのできる通常の物質はたった約5%なのです。光のエネルギーはさらに少なくて、約0.01%程度です。それよりずっと多い、目で見ることのできない物質である、ダークマター(暗黒物質)が約25%、それらとは全く異なる、もはや物質とも呼ぶことができないエネルギー状態のダークエネルギーが約70%くらいなのです。

現在の宇宙はダークエネルギーが支配していることから、宇宙は加速膨張しているということが、Ia型超新星爆発の観測でわかりました。この発見には2011年にノーベル物理学賞が授与されています。その一方、もしダークマターや通常の物質などの物質が優勢な宇宙であったならば、その引力で引き合うせいで、宇宙の膨張は減速膨張の宇宙になってしまっていたかもしれないのです。しかし、本当の宇宙は加速膨張宇宙という、昔の予想と全く異なる姿をみせたのです。

Ia型の超新星爆発の明るさと距離を正確に測ると、物質とダークエネルギーの存在量の比が約3:7と分かります。この値は、別の独立な観測である宇宙マイクロ波背景放射(CMB)や銀河・銀河団の観測からも、お互いに矛盾なく正しいと検証されています」

ダークエネルギーによって、宇宙膨張の起源はわかるのでしょうか。

「宇宙誕生の時も現在も、ダークエネルギーのエネルギーの密度は素粒子論の自然な予想より約60桁も小さい量なのですが、それを説明するには今の素粒子の標準理論を超える新しい理論が必要になってくると思われます。ダークエネルギーの密度はミリ電子ボルトという小さな単位で測られますが、標準理論にはこんな小さな単位は現れないからです。

私は、そこには実験で確認されている、標準理論を超える事実の一つであるニュートリノ質量が関係しているのではないか?という論文を2006年に出版しました。ハーバード大学にいたころで、イラン系アメリカ人とアルゼンチン系アメリカ人の同僚との共著です。この考え方は今でも観測から否定も肯定もされていませんが、将来観測によりその正当性を検証されなければなりません。

ダークエネルギーの量が、観測されている量の60桁上とはいわずとも、たった3桁だけでも上にずれていたならば、膨張が早くに速くなりすぎて銀河はつくられません。当然、太陽も地球もつくられないので、私たち人間も生まれません。素粒子論や宇宙論の理論家が説明不可能なほど、とてつもなく大きくずれているのです。

そこで出てきたのが、「人間原理」という考え方です。つまり、物理学を使わなくても、ダークエネルギーが小さい宇宙にしか人間は生まれないので、何も不思議はないという解決方法です。

人間原理で考えると、人間のいる宇宙だけが観測され得るということになり、私たちの宇宙が特別な宇宙になってしまうのです。しかし、その場合、人間の存在が、宇宙全体の性質を決めてしまっているという、とても変な解釈になってしまいます。我々物理学者はこの哲学的な解決方法を使わず、物理学でダークエネルギー問題を解くべきだと思います。しかし、もしかしたら我々人類は人間原理を適用しないと解けない大問題に、初めて直面したのかもしれませんね」

7月には国立天文台に移られるそうですね。

「はい。国立天文台に教授として異動します。KEKには来る機会もあると思いますので、またよろしくお願いします」

(聞き手:外部資金室 牧野佐千子)