1987年、KEKのフォトンファクトリー(PF)にタンパク質の立体構造を解析できるビームライン(放射光を使った実験装置)ができたとき、共同利用に一番乗りしたのが、イスラエルのアダ・ヨナット(Ada Yonath)博士でした。 ヨナット博士は約10年の間PFに通い、精力的に実験を続けました。タンパク質の結晶を冷やしながら撮像するための装置を、自らPFに持ち込んで試行錯誤を続けたといいます。そのときに開発した実験手法の原理は、形を変え、今でも活用されています。
ヨナット博士はその後各地に建設された放射光施設も使って、複雑で難しいとされていたタンパク質とRNAの複合体であるリボソームの構造を明らかにし、その功績で2009年にノーベル化学賞を共同受賞しました。
ヨナット博士は2010年にも来日しKEK特別栄誉教授の称号を授与されましたが、今年の秋、ノーベル賞受賞後初めてPFを訪れました。
ヨナット博士は9月27日午後にPFに到着し、PFユーザー時代の装置担当者だった坂部 知平(さかべ のりよし)名誉教授と十数年ぶりの再会を果たしました。笑顔で会話しながらPF実験ホールの通路を歩き、現在の自動化されたタンパク質構造解析のビームラインや、計画中の放射光技術開発のためのビームラインの建設地などを見学しました。
当日は実験ホール内で記者会見が開かれました。ヨナット博士は実験のために通っていたころの思い出話をし、KEKへの感謝の意を示しました。坂部名誉教授も思い出話に加わり会場は大いに盛り上がりました。
当時PFにあったのは、日本で開発されたイメージングプレート(IP)という新しいX線検出器でした。ヨナット博士は「良い装置が使えるのなら私は世界のどこへでも行くつもりでした」と述べました。
会場からは近年の基礎研究費の削減についての質問も出て、ヨナット博士は「新しい考えを進めるため、サポートはとても大切です」と、基礎研究の大切さを強調していました。
“Good luck! Many great results. Ada Yonath 27.9.23” と記されている
この日、終始笑顔を見せていた坂部 貴和子 博士は、5日後の10月2日に心臓疾患のため急逝されました。心よりお悔やみ申し上げます。
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