
登山を趣味とする三塚岳さんの「岳」は、生まれたその日、郷里の「那須岳の眺めがとても美しかった」ことから両親がその一字を取って名づけました。土木建築業の仕事に携わる父についてよく覚えているのは、小学校の頃によく目にした「ヘルメットを被った現場監督の姿」と言います。今、自らも同じような格好で現場を指揮することに、「不思議なめぐり合わせ」を感じています。
三塚さんは、KEKのスーパーBファクトリープロジェクトに所属し、加速器運転の「現場監督」とも呼べるコミッショニングリーダーを務めています。グループの尽力でさまざまな困難を乗り越え、今年、SuperKEKBは粒子ビームの衝突頻度を表すルミノシティの世界記録を更新しました。その後も安定して高水準な記録をキープして、今年の運転を終了しています。たとえれば、ひとつの険しい峰を登り切り、次の峰を目指しながら息を整える心境でしょうか。今年の目標の踏破は叶ったのか、その道のりと成果について尋ねてみました。
研究者への道を歩むきっかけから教えていただけますか。
物理学の世界って、宇宙に興味を持つ人が集まりますよね。私も同じような興味を持って大学へ進学をしたんです。学部の授業は、理論が中心。宇宙理論です。なんというか、遠い世界の話ですよね。100億年前の話をあたかも見てきたかのように先生が話をしてくれて、それはそれで興味深かったのですが、もう少し現実の世界というか、実体の見える研究のほうが合っている気がしていたとき、大学3年でしたね、後にKEKの機構長に就任する戸塚洋二先生が半年間、特別講師として授業に来られたんです。非常にエネルギッシュで魅力的な先生でした。小柴昌俊先生がノーベル賞を取られて、「ニュートリノ」が脚光を浴び始めた時代です。戸塚先生の人柄に魅せられて、授業でニュートリノの話を聞いて、「これは、面白そうだ!」と視界が晴れて、大学院ではニュートリノの研究に進みました。

研究の現場は、スーパーカミオカンデ実験の神岡(岐阜県)です。私が取り組んだのは、大気ニュートリノの研究でした。実験の楽しさを実感しましたね。研究の世界に足を踏み込んだという実感がありました。ただ、大気ニュートリノの実験では加速器は使わないので、「今度は、加速器を使った実験に参加してみたいな」と思って、学位(博士)を取った後、CERN(欧州合同原子核研究機関)の大型ハドロン衝突型加速器を用いて超高エネルギー宇宙線と大気の相互作用を研究するLHCf実験に参加して、その後、理化学研究所の研究員として米国ニューヨーク州にあるブルックヘブン国立研究所で検出器の開発を行いました。
理論から実験の世界に入る研究者は、少なくありませんよ。「解析は解析、理論は理論」ではなくて、実験しながら理論の視点でも自分なりに検証して、「こういう原理があって、こういうデータから、こういう現象が見えるんだな」と、物理の世界を一連の流れできちんと見ようと心がけるようになりました。「もっと知りたい、もっと見てみたい」という気持ちが強くなるほど、若い頃は理論を食わず嫌いしている部分があったのかなという気がしますね。

米国から帰国してKEKへ来られた、と伺いました。
はい。J-PARCに勤める友人から話を聞いて、つくばで職を得ました。2018年です。最初に与えられた仕事は、ビームサイズモニターの開発でした。加速器を使った実験の現場は経験してきましたが、実際に運用したり、開発したりするのは初めて。そもそもなのですが、モニターの開発以前に、「この仕事って、何のためにやるの?」というくらいの知識しかなくて。「ビームサイズって、記録が必要なの?」と(笑)。
「ビーム」って、どういう形をしているか、ご存じですか。ウルトラマンのスペシウム光線みたいなものをイメージされる方もいるのですが、実はたくさんの粒子が集まってできるとても小さい線なんです。サイズは加速器に設置されている磁石の強さによって調整されるのですが、だいたい長さ6ミリ、幅0.2ミリ、高さ0.02ミリ、といった感じです。見学に来られた高校生をSuperKEKB加速器へ案内する際には「人の睫毛(まつげ)みたいなものが、この中をぐるぐる回っているんだよ」と説明をします。光の速度で走っているこの睫毛サイズを正確に測るのがビームサイズモニターです。
自分の仕事の重要性を実感したのは、朝のミーティングでした。加速器の運転中は、毎朝9時からミーティングを開くのですが、そこで自分が作ったビームサイズモニターが測定した値をチームで検証しながら、「今の垂直ビームサイズが50ミクロン程度だから、もっと小さくしなきゃいけない」とか「測定頻度が遅いから、もっと高速で、さらに高精度に測定してくれ」といった指示が飛び交うのを聞いて、「なるほど、この値って、重要なんだ!」と納得したものでした。
測定値が加速器の状況を反映すると、「モニターの精度がよくなったね」「性能が上がったなあ」とチームのみんなが喜んでくれるのが嬉しくて。自分の仕事が必要とされると感じると、人ってうれしいじゃないですか。そんな気持ちが励みになって、「じゃあ、もっとがんばるぞ」という気持ちで日々を積み重ねて、今に至っています。
そのチームを束ねて、ルミノシティの世界記録を更新されましたね。おめでとうございます。チームでの役割を含めて、偉業達成にどのように取り組まれたのですか。
現在の主な仕事は、オペレーションルームでの「コミッショニング」という仕事です。ビームの運転には、システムやプログラムの動作や処理を決める、いろいろなパラメーターがありましてね。特に、加速器の設備には膨大な数の電磁石があって、常にモニターを見ながら、入射したビームが真空のリングの中で正しい位置を通るように電流を調整するんです。この調整が大仕事。しかも、担当するSuperKEKB加速器には電子と陽電子を周回速させるリングが2つあって、さらにエネルギーが異なりますから、その調整にはかなり高度な技術と経験が求められます。
先ほどの睫毛のビームの塊、「バンチ」と呼んでいるのですが、一つのリングにバンチはだいたい2000個くらい入ります。このバンチをどのくらい入れるか、ビームのサイズをどのくらいにするか、どのくらいの角度で打ち込むか、そういう操作一つ一つに高い技能が必要になります。こうした制御値を決めるには、シミュレーションや測定値などを頼りに、チームで議論して決めています。技術職員と研究職員、半々くらいで70人くらいのチーム。それぞれの操作を俯瞰的に確認してチームとして束ねていくのが、コミッショニングリーダーの仕事です。
「いかにルミノシティを高くするか」が、SuperKEKB加速器のミッションです。電子と陽電子を最大限に衝突させて、できるだけ多くの衝突データを蓄積して、その測定をするBelle II実験グループに提供するんです。「ルミノシティフロンティア」(ルミノシティの最前線に立つ)というのが、チームの旗印ですね。
ルミノシティを高くする方法は、大きく2つあります。1つは「ビームの電流を上げる」というものです。電子と陽電子のそれぞれのバンチ一つあたりに含まれる電子と陽電子の数を増やすというわけです。数が増えれば、衝突する確率も上がりますよね。これによってルミノシティの値が高くなります。もう一つは「絞り込む」という方法です。バンチをぎゅっと圧縮して、極めて高い密度で電子のバンチと陽電子のバンチをぶつけるんです。密度が高ければ、その分、電子と陽電子の衝突する確率も高くなるというわけです。

運転中はこの一つ一つのモニターに映し出された値やアラームなどに、研究者・技術者たちは気持ちを傾注する
私が2024年にコミッショニングリーダーに就き、このチームでは先ほど述べた2つの方法を継承し、その知見を活かしながら、引き続きルミノシティの向上に取り組んできました。その結果、今年5月17日にBelle II測定器が蓄積してきた、Υ(4S) (ウプシロン-4S)という状態から生まれるB中間子のデータが世界最大になりました。データの量は積分ルミノシティと呼ばれるのですが、その数値が6月4日時点で「862 fb⁻¹ 」まで達したのです(詳しくは、プレスリリースをご参照ください)。
もちろん、関係者はみな大喜びです。これまでよくわからなかった課題がかなり解消されて、世界記録に近いルミノシティを途切れることなく実現しながら安定した運転ができるようになって、目標としていた「1000 fb⁻¹ 達成」に期待は大いに高まりました。
本日(6月30日)9時に、今年のSuperKEKBの運転が終わりましたね。たいへんお疲れさまでした。目標の「1000」という数字は、いかがでしたか。
結果は「914」。ちょっと足りませんでした。ルミノシティを上げるには、ビームの安定性が重要なんですね。ビームは電流を上げると不安定になります。前を走っているビームのバンチが走り抜けるとき電磁場が生じます。前後のバンチの間隔が狭いと、後ろから走ってくるバンチに伝播して影響を及ぼすんですよ。その扱いが難しいんです。設置されているモニターでビームの損失などを検出したら、すぐにビームを遮断しなければなりません。

回し続けると壊れるということですか。
はい。たとえば、不安定になったビームを止めるための「コリメーター」という装置があるのですが、ここにビームが直撃してしまうと装置は壊れてしまいます。過去には何度かそういうことがあって、いったん壊れてしまうと、加速器の運転を止めてコリメーターを交換しなければならなくて、しかもその作業に1週間程度かかります。この間ビームは出せないので、当然、積分ルミノシティは停滞することになります。今年はそこまでの大きな中断はなく、ビームが不安定になる要素もずいぶん明らかになってきて、かなりいい成果を残し続けていたので、(目標に達しなかったのは)悔しいですね。
たしか、6月に停電がありましたね。
19日の深夜1時過ぎに停電があり、これでビームラインはもちろん、加速器全体が止まりました。数秒の停電でしたが、電子と陽電子を入射する線形加速器(LINAC)を含めて、いくつもの機器が壊れてしまって。そこからの修理に時間を要して、ようやくビーム運転を再開できたのは21日の朝。そこから試験運転を始めて、すべての機器を調整して。この週末も出勤して1週間がかりでやっと復旧したんです。
ほんの数秒でも停電すると、再稼働には10日もかかるんです。わずかな地震などでも一時的に加速器は停止します。茨城は結構地震が多いところで、震度3以下の地震の発生件数は国内でかなり高い地域です。大きな地震がなかったのは幸いなのですが、頻繁に止まってしまうのは避けられないことなので、結構、厄介です。現場のオペレーションルームが対応に苦慮して、夜中に私の自宅に電話が来ることも少なからずあります。
目標には達しなかったものの、今年の成果から感じた手応えはありませんか。
今年の運転は、比較的高いビームの電流を出しながらも、これまでに比べると比較的安定した運転ができました。積分ルミノシティを高い水準で堅調に蓄積し続けられたのは、大きな成果だと思っています。これから半年、加速器が運休する間に、ハードウェアのアップグレードや、運転の仕方、ビームの安定性を高めるためのシミュレーションなどを考えて、来年はさらに安定したデータ蓄積ができるように準備していきます。

運転中は緊張の絶えない日々だろうと察しますが、育った環境など、何か今の仕事に通じるものがありますか。
いろいろな方々から「緊張が途切れなくて大変ですね」って言っていただけるのですが、実は、緊張はあまりなくて、結構ケロッとしている感じです。得な性格ですよね(笑)。なぜでしょうね。いろいろな環境でチャレンジしてきたこともあるかもしれません。栃木県の田舎町で育ち、中学受験をして友だちのいない学校に電車で通学するような環境に始まり、東京の大学、大学院と進み、結婚して妻と一緒にイタリアへ。アメリカへは単身でした。日本語の通じない生活も長くて、環境が変わるたびに、人間関係を新たに作らなければならない。自分の立ち位置、活躍できる場を見つけて成果を出す生活を続けるうちに、だんだん「なんとかなるさ」という楽観的な性格も備わった気がしますね。
母は幼稚園の教師、のちに園長を務めたのですが、教えるのがうまくて、何か聞くとわかりやすく話してくれました。やさしく教えるっていうのかな、そういうのが好きだったんでしょうね。父は土木建築の仕事をやっています。私が小学校の頃は現場監督をやっていたようで、よく作業着姿で帰ってきたのを覚えています。夜中に「現場に行く」と言って家を出て行ったり、全然家に帰ってこなかったりとか。「仕事っていうのは、そういうものか」となんとなく学んだ気がします。加速器の仕事も現場監督のようなところ、あるじゃないですか。父に自分のヘルメットをかぶった姿をLINEで送ったら、すごく喜んでいましたね(笑)。
SuperKEKBのチームにあって、三塚さん自身はどんな「現場監督」でありたいと思っていますか。
チームは非常に有能です。みんな自分の意見をしっかり持っている。だから意見は言いますけれども、みんな一つの方向に進むときには、意固地にならず、きっちりチームに合わせて一丸になっていく。変な言い方ですけれども、大人ですよね。いいチームだと思っています。私もその良さと言いますか、個々の特性を高められるようにと思っています。
趣味の話になるのですが、私、クラシック音楽が好きなんです。学生の頃だったか、あの有名なカラヤン(指揮者:ヘルベルト・フォン・カラヤン 1908-1989年)のインタビューを読んだことがあります。カラヤンは「指揮者の役割って、何ですか」と聞かれて、「乗馬と同じだ」と答えています。オーケストラの指揮を、馬術競技にたとえたんですね。才能のある演奏家たちの判断を尊重して、タイミングを教えること。鞭を振るってはだめだと言うんです。加速器のチームも同じようなところがあって、自分のテンポやリズムを通すのも重要ではあるんですが、やはりチームとしてのタイミングというか、呼吸を合わせるっていうのは重要ですね。みんなで一つの目標に向かって、一緒に性能を高めていく。そういうチームでありたいし、そういう現場監督でありたいと思っています。
my hobby & philosophy 三塚岳さんの趣味と哲学

登山
登山は夫人とともに愉しむ趣味のひとつ。名古屋大学時代に学生に誘われて、初めて登ったのが富士山。そのご来光に魅了された。今では冬山にも挑戦する本格派だ。「写真は2026年1月、阿弥陀岳―赤岳で、立場山~阿弥陀岳南稜(背後の山)~赤岳南峰リッジを登ってきたときのものです。後ろの湖が諏訪湖、遠くに見える雪を被った山が御嶽山、乗鞍岳です」(三塚さん)。夏には先輩の還暦を祝い、槍ヶ岳に登る予定だ。

読書
数年に一度は読むというマックス・ヴェーバーの著作『職業としての学問』。「何か確認したくなるような感覚で読み直す本です。第一次世界大戦で敗退した不遇の時代のドイツで、マックスが学生に向けて行った講演をまとめています。高校生の時に読んで、『なるほど、学者になるっていうのは、こういうことなんだな』と思った一冊です」(三塚さん)

音楽鑑賞
クラシック音楽の鑑賞は趣味のひとつ。「幼稚園に勤めていた母の奨めで、子どもの頃にマリンバを習ったのがきっかけです」(三塚さん)。良く聴くCDを2枚、紹介してもらった。ひとつは、戦時中のユダヤ人迫害から逃れて米国に亡命していたオットー・クレンペラーが、戦後ドイツでの市民権を回復した後、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団で指揮した1968年の作品(写真上)。
もう一枚は、ギュンター・ヴァント指揮によるハンブルク北ドイツ放送交響楽団(現・NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団)の来日公演(2000年)。みずからも会場で感動を味わった思い出の公演だ。