【KEKのひと#57】オデュッセウスの苦難の航海を続ける覚悟で スエルフさん

このたび長らく中断していた「KEKのひと」の企画を再開することになりました。今回は、中国の内モンゴル自治区出身で昨年から量子場計測システム国際拠点(WPI-QUP)に所属しているスエルフさんです。米国プリンストン大学で学位を取り、カリフォルニア大学バークレー校での実験に従事した経験を持っています。

2022年のKEKアニュアルレポートの表紙を飾った希釈冷凍機を使う実験を担当しているそうですね。きらきら光ってとてもきれいな装置です。どんな研究ですか?

ヘリウムの同位体であるヘリウム3とヘリウム4を混ぜることにより、極低温を生み出し、金属が示す超伝導転移現象を利用して暗黒物質を見つけようという研究です。粒子が検出器にぶつかるとエネルギーが出て、温度が上がり超伝導転移が変化します。宇宙の総質量や他の粒子は数が決まっているため、予測とは異なる頻度のシグナルを検知したら、それが暗黒物質だと分かる仕組みです。実験装置は熱伝導の観点からは黄金がいいのですが、高価なため銅をベースに金メッキしたものを使用しています。

人工的に作った大量の粒子を飛ばすのとは異なり、宇宙の暗黒物質を検出するのは素人の目から見ても至難の業という気がします。結果が得られるまでには長い時間を要するのではないでしょうか?

最大の難点は、答えがあるかどうか分からないということです。答えがあると分かっているなら時間をかけて構わないと思いますが、そうでない可能性もあります。研究にはギャンブルの要素がつきものなのです。ホメロスの『オデュッセイア』には「目的のない航海ほど辛いものはない」という表現が出てきます。私もそういう感覚で実験に向き合っています。

この実験にいつまで関われるか分かりませんが、機会があればニュートリノ研究もしたいですし、興味の持てる分野を模索しながらずっと研究を続けていきたいと考えています。

では、そもそも研究者を志したきっかけは何でしょうか?

中学生の時に、一見すると関係のない神秘的な天体や地球の景色と、目には見えないミクロの世界との間に秘められた法則性があることに気づき、美しいと感じたことです。研究を通して知らないことを知る喜びがあると思いました。

内モンゴルというと日本人の頭に真っ先に浮かぶのは元寇であり、大草原のイメージです。故郷を紹介してください。

内モンゴルといえば、西部には砂漠、東部には森、中部には世界的に有名な草原地域が広がっています。近年都市化が急速に進み、内モンゴルの都市は中国のほかの都市部とあまり差異がありません。漢民族の人が多いため、人々の大部分は中国語を使っています。モンゴル語もありますが、多くは草原地域でしか使われていません。

モンゴル人の性格は、大ざっぱに言うと社交的です。チンギス・ハーンの父が息子の縁談のための外出先から戻る途中、他の部族が開いていた宴会に招かれて飛び入り参加したところ、これを予測していた敵の勢力に毒を盛られて亡くなったという話からも、その社交的な性格が見て取れます。

QUPに応募した動機を教えてください。アメリカと日本の研究環境に違いはありますか?

以前の研究内容と一致しているのが主な理由ですが、日本社会の安全性や故郷に近いこと、それと文化に対する興味もありました。アニメの『ワンピース』や『天空の城ラピュタ』の世界観に引かれます。祖父と父が日本に留学した経験があり、父が郷里の大学で日本文化を教えているという家庭環境も影響していると思います。

アメリカは効率重視で、待遇面でもPh.Dの学生に給料が支払われるのが大きな違いです。こちらでは規律と公平性重視だと思いますが、日本人は働きすぎかもしれません。電車に乗ると皆疲れた顔をしているなと感じます。アニメの登場人物とは若干違いますね。

KEKに来る前に日本に来たことはありましたか?また、今後行きたい場所はありますか?

父に同行して来たことがあります。これまでに東京や江の島、学問の神様と言われる菅原道真が祭られている太宰府などに行きました。比較的変化の激しい環境に身を置いてきたせいか、静的な日本の風景を見ると安らぎを覚えます。

富士山をモチーフにした浮世絵、山の形を模したぐいのみなどを見た時に日本人の感性は面白いと思いました。仕事で2~3カ月に1回の割合で岐阜県神岡町に行く機会がありますが、その近くの富山県の立山や雨晴(あまはらし)海岸もいいです。

今度は北海道に行きたいです。ラベンダー畑や自国にはない雪の風景を見て、ジンギスカン鍋を食べてみたいです。

つくばの印象はいかがですか?赴任して驚いたことはありますか?

大都市から離れていて研究に没頭できる場所です。それと外国人の比率が日本一かも。驚いたのは、皆がラーメンとご飯を一緒に食べていることですね。炭水化物と炭水化物(笑)。仕事で疲れて帰った夜にフルーツサンドを食べたら、思いがけずおいしくて感動しました。これは外国にはないと思います。あと、夏の暑さが信じられません…。モンゴルは乾燥しているのでもっと過ごしやすいです。

休日はどのように過ごしていますか?

趣味と実益を兼ねて電子回路を設計しています。写真撮影も好きで、将来「撮影の物理」というタイトルで教えたいです。居心地がいいつくばですが、車がないと不便なので免許を取りたいと思っています。

KEKの職員に向けてメッセージをお願いします。

お仕事お疲れさまです。皆さまのハードワークのお陰で仕事が順調です。一緒にKEKをもっとすごい場所にしましょう!

今日は専門以外にも興味深いお話がたくさん聞けました。ありがとうございました。

(聞き手:広報室 海老澤 直美)