公開講座2023第1回「クライオ電子顕微鏡で分子と生命をつなぐ」開催報告

KEKでは研究で蓄積された知⾒や加速器科学について⼀般の⽅に広く紹介し、興味や関⼼を持っていただく⽬的で公開講座を開催しています。今年度の第1回は6⽉3⽇に「クライオ電⼦顕微鏡で分⼦と⽣命をつなぐ」というテーマで開催しました。公開講座はコロナ禍のためにオンライン開催が続いていましたが、今回は4年ぶりにKEKつくばキャンパスで現地開催しました。

物質構造科学研究所の 千⽥ 俊哉 教授は、科学史をひも解き、化学の⾔葉で⽣物を語ることができるようになったことで可能となった研究の具体例を解説しました。同じく物構研の 稲葉 理美 研究員はクライオ電⼦顕微鏡の簡単な原理や特徴、そして最新の成果について説明しました。

講演1「分⼦と⽣命」千⽥ 俊哉 教授

千⽥⽒は最初に、なぜニワトリからニワトリが⽣まれるのかという質問を参加者に投げかけました。1665年の顕微鏡による初めての細胞観察、1865年のメンデルの法則発表、1944年に遺伝物質はDNAであることが⽰されたことなど、細胞や遺伝⼦に関する科学史をたどり、卵の中にはすでに⽣まれてくる⼦供が⼊っていると考える前成説が否定された道のりを紹介しました。「そして1953年にワトソンとクリックがDNAの⼆重らせん構造を発⾒したことがきっかけとなって、分⼦レベルの⽣物学が爆発的に進歩しました」。

DNAの遺伝情報が基となり作られたタンパク質はひも状の分⼦ですが、それぞれのタンパク質は、決まった3次元の形(⽴体構造)に折りたたまれます。千⽥⽒はこのタンパク質の「形」がタンパク質の「働き」を決めていることを⽰し、DNAやタンパク質など、⽣物を構成する分⼦の形(⽴体構造)に基づいて細胞や⽣物の仕組みを解明できるようになったことを、「化学の⾔葉で⽣物を語ることができるようになった」と表現しました。

続いてX線結晶構造解析、核磁気共鳴法、クライオ電⼦顕微鏡のタンパク質の⽴体構造を⾒る三つの⼿法を⽐較しました。X線結晶構造解析はタンパク質を結晶化し、それにX線を照射して回折してくるX線を解析することで⽴体構造を調べます。測定も速く精度も⾼いですが、結晶化できないタンパク質は調べることができません。核磁気共鳴法は溶液に溶けた状態で観察するため結晶化は不要ですが、⼤きいサイズのタンパク質を解析することは難しいです。クライオ電⼦顕微鏡はタンパク質溶液を凍らせて電⼦線で観察します。少量のタンパク質で、しかも結晶化せずに解析が可能なところが⼀番のメリットですが、⼩さいサイズのタンパク質の解析は不得意です。クライオ電顕の“クライオ”はとても低い温度(例えば、液体窒素温度(マイナス196℃))のことを指します。試料を常に凍らせて観察することから、このように呼ばれています。

次に千⽥⽒の専⾨分野であるX線結晶構造解析の⼿順を説明しました。解析をするためには、解析対象のタンパク質を“⼤量”(10ミリグラム〜100ミリグラム)に合成することが必要です。10ミリグラムというのは⾮常に少量に思われますが、⼀般の⽣化学実験に必要な量に⽐べると極めて多くの量なのです。構造解析に使う“⼤量”のタンパク質は、対象とするタンパク質の情報を持つDNAを注⼊した⼤腸菌などに作らせます。次に、⽬的とするタンパク質だけを取り出して(精製といいます)、結晶化します。この精製と結晶化の段階が最も難しく時間のかかる部分で、タンパク質によっては構造解析を成功させるまでに5年から10年かかることもあると話しました。

最後に、ヒトの細胞内でGTPという分⼦の濃度に応じて働きを変えるセンサータンパク質であるPI5P4Kβ※が、がん細胞で果たす役割を調べた⾃⾝の研究を紹介しました。GTP(グアノシン三リン酸)は⽣物のエネルギーの通貨であるATP(アデノシン三リン酸)と同じように体内のエネルギー通貨と考えられており、タンパク質の合成や細胞内のシグナル伝達で重要な役割を果たしています。PI5P4KβはGTPの量を測るタンパク質ですが、PI5P4Kβの205番⽬のアミノ酸をフェニルアラニン(Phe)からロイシン(Leu)に置換すると、⽴体構造が少し変化して細胞内でGTPの量を測ることができなくなりました。このアミノ酸の変化は、DNAを構成する塩基対でいえばTTCをTTGに1⽂字変更しただけなのです。

※詳しくは物構研トピックス「ヒトGTPセンサータンパク質誕⽣のトリック解明-脊椎動物に特徴的なGTPセンサーPI5P4Kβの進化-
https://www2.kek.jp/imss/news/2022/topics/0606gtp/)」をご覧ください

この変異を持つPI5P4Kβをがん細胞に導⼊したところ、変異を持つがん細胞はネズミの体内では増えることができませんでした。この結果からPI5P4KβのGTPセンサー機能は、がん細胞の増殖に必要なことが分かります。ですから、PI5P4Kβの構造情報に基づいて、その働きを阻害する物質をデザインすれば、がんの薬を作ることができるかもしれません。実際、PI5P4Kβの研究はがんの治療研究としても進められているとのことです。しかし千⽥⽒は「ただし薬への道のりは⻑いです」と付け加えました。

質疑応答では、「体温の36度ではタンパク質はダイナミックに動いているのではないか︖」との質問に、千⽥⽒は「その通りです。体で表現してみます」と⼿や腕をひらひらさせ、タンパク質の動きをまねて会場の笑いを誘っていました。X線結晶構造解析ではタンパク質を結晶にし、クライオ電⼦顕微鏡ではタンパク質を⽔と⼀緒に凍らせるので、その動きは⾒えませんが、核磁気共鳴法や、最近精度が向上した分⼦動⼒学を⽤いたコンピュータシミュレーションではタンパク質の動きを⾒ることができます。「動いているからこそ、タンパク質は働くことができるのです」と解説しました。

講演後、ある来場者は「科学史の流れをたどってクライオ電⼦顕微鏡にどうつながる のかが分かった」と話していました。

講演2「クライオ電⼦顕微鏡で⽣き物の部品の形を『分⼦の世界』で明らかにしよう︕」稲葉 理美 研究員

稲葉⽒は初めに、⽣物の内部や、⽣物を構成するタンパク質などの⼩さい分⼦を3次元で⾒たい場合にどうすればよいかと問いかけました。⾒たい部分を切り開くと⽣き物は死んでしまいますので、⽣きたまま⽣物の中⾝を観察するには特別な⼯夫が必要です。また、⽣き物の部品であるタンパク質の⼤きさは1〜100ナノメートルで髪の⽑の1000分の1以下ととても⼩さく、通常の顕微鏡では⾒ることができません。

これらの課題を解決するためにさまざまな技術が開発されてきました。⽣物の内部を切り開かずに観察できるX線CTスキャン、極めて⼩さいタンパク質の構造を決定するX線結晶構造解析や核磁気共鳴法などが紹介されました。電⼦線を⽤いる透過型電⼦顕微鏡は、顕微鏡ではありますが、⼀部CTスキャンのような考えを使って、タンパク質分⼦の⽴体構造を調べることができ、この10年ほどで⼤きな進歩を遂げています。学⽣時代に核磁気共鳴法を⽤いて研究をしていた稲葉⽒はイギリス留学で2017年ノーベル化学賞の受賞理由となったクライオ電⼦顕微鏡を⽤いたタンパク質の構造解析法と出会いました。

稲葉⽒は動画を⾒せながらクライオ電⼦顕微鏡でのタンパク質分⼦の観察⽅法について説明しました。タンパク質が溶けている⽔をグリッド(直径3ミリメートルの円形状で、厚さ20マイクロメートルのカーボン膜のホールが6,700億ある)に塗布し、ろ紙で余分な⽔分を吸い取ってからマイナス180度くらいの温度の液体エタン中で急速に冷凍することで、⾮晶質の⾮常に薄い(数百ナノメートル)氷の中にタンパク質を閉じこめます。最新のクライオ電⼦顕微鏡を使うと、グリッド上のタンパク質を⾃動で撮影することができるのです。静⽌画ではなく動画として撮影し、⼀晩に数千枚の動画を連続で撮影していきます。

動画として撮影された画像は、⼿ぶれ補正のような処理を施して個々のタンパク質の粒⼦像を1万から20万個拾い出していきます。得られた1枚1枚のタンパク質分⼦の像はノイズだらけで何が写っているのかよくわからないのですが、同じ向きの画像をグループ分けして⾜し合わせていくことで、ノイズを減らして鮮明な画像にすることができます。このようにして、いろいろな向きから撮影された⼀群のタンパク質画像が得られます。これらのいろいろな向きからの投影像を⽤いて解析することで、3次元構造を得ることができるのです。このような⽅法は、どことなくCTと似ています
(詳しくはこちらの記事をご覧ください。物構研ハイライト「タンパク質の単粒⼦解析ってどうやるの︖〜⼆次元の画像データから三次元の情報が得られるのはなぜ︖〜(https://www2.kek.jp/imss/news/2020/highlight/1214SPA/)」)。この⼿法は、単粒⼦解析法と呼ばれ、近年のタンパク質の構造解析、特に結晶化が困難なタンパク質の構造解析にはなくてはならない⼿法となっています。

質疑応答では来場者から多くの質問が寄せられました。「タンパク質の内部も⾒えるのか︖」という質問には「⾒ることができます」と稲葉⽒が答えました。その他、「⼆つのタンパク質が結合している状態を⾒ることができるか︖」や、「クライオ電⼦顕微鏡にはどんなブレークスルーがあったのか︖」などの質問がありました。クライオ電⼦顕微鏡では、⼆つのタンパク質が結合した状態でグリッドを作ることができれば、タンパク質の結合している状態を⾒ることは可能です。また、ブレークスルーとしては、電⼦線検出器、凍結⽅法、計算機の性能アップ、解析アルゴリズムの改善 などを挙げました。これらの進歩のおかげで、「最近では数⽇での解析も可能になってきた」と述べました。また、「X線構造解析との住み分けは︖」という質問に対しては、「分⼦量が⼩さいものや、結晶化できるものはX線構造解析、膜タンパク質や少量しか得られないタンパク質はクライオ電⼦顕微鏡が向いている」と述べました。

会場のKEK⼩林ホールには、中学校に掲⽰されていたポスターを⾒て参加した中学⽣と⽗親、学⽣時代に有機化合物の⽴体構造の研究をしていた男性など77⼈が来場しました。閉会後、栃⽊から参加した中学⽣は、「専⾨⽤語が出てきたが、⼀から分かりやすく説明してくれました。研究者が直接⾃分の研究の話をしてくれたのを興味深く聞きました」と笑顔を⾒せました。次回の公開講座は11⽉の開催を予定しています。

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物構研ハイライト「タンパク質の単粒子解析ってどうやるの?~二次元の画像データから三次元の情報が得られるのはなぜ?~(https://www2.kek.jp/imss/news/2020/highlight/1214SPA/)」

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