【KEKエッセイ#58】旅は道連れ世は情け~私のエジプト体験~

新型コロナウィルスの世界的な感染拡大により、国をまたいだ往来ができなくなってほぼ2年。世界中を飛び回っていたKEKの研究者たちも、今はSTAY HOMEに耐えています。国際会議や打ち合わせはオンラインでできるとはいえ、外国の研究者と交流したり、異国の風土を味わったり、という経験は海外出張でなければできません。私も多くの国を訪れ、さまざまな経験をしてきましたが、なかでもエジプトの出張は、当時まだ若手研究者だった私にとって衝撃的でした。エジプトはインドと並んで「行くと人生観が変わる」と言われる国の一つ。私の心の中の何かを確実に変えた、エジプトでの経験を紹介します。(物質構造科学研究所 瀬戸秀紀)

あれは約20年前のことです。エジプト結晶学会が開催するスクールに、私は講師として招待されました。当時、広島大学の助手だった私は、研究者としてそれなりに経験を積み、あちこちの国際会議に顔を出すようになっていました。でもアフリカや中東には行ったことがなく、「この出張は面白そうだ」と思い二つ返事で引き受けました。

スクールの日程は1週間あまりで、スエズ運河近くのイスマイリアが会場。私はスクールが始まる数日前にカイロ入りし、その間にエジプトの街を散歩する計画でした。

エジプトといえば、何といってもピラミッド。特にギザの大ピラミッドを外すわけにはいきません。カイロ中心部からギザのピラミッド地区まで20km弱で、バスで行くこともできるようでしたが、アラビア語の表示を見ながら行けるはずもなく、ホテルでタクシーを手配してもらいました。

来たのはやや年かさのドライバーが運転する年代物のタクシー。あちこちにぶつけた跡があり、シートベルトもありません。ドライバーはとてもフレンドリーで、何かと話しかけてきて飽きさせません。というか、3車線ぐらいの道幅いっぱいに4、5台の車が肩を寄せ合うようにして並走。さらにクラクションを鳴らしながら我先に頭を突っ込んで来るので、飽きている余裕なんかない、という感じ。にこやかに話しかけてくるドライバーに思わず「いいから前を見て運転に集中してくれ!」と言いたくなるほどでした。

そんなこんなで30分ぐらい走っていると、あの有名な三大ピラミッドとスフィンクスが見えてきました。「いやー、無事着いてよかった」とほっとしていると、件のドライバー氏が「いいところがあるので連れて行ってやる」と、ピラミッド地区の裏の方に進んで行くではありませんか。そして着いた所がラクダツアーの受付。「そんな、ラクダになんか乗る気はないよ」と断っても、「まあいいからいいから。いい経験になるから乗って」と言うのでしぶしぶ乗ったら最後、ラクダが座ってくれるまで一切降りることができない仕組みです。結局、しばらくラクダの背に揺られてそのへんを歩き回ることに。ラクダツアーの料金を支払ってようやく解放されました。

そうこうするうちに、ようやくピラミッド地区の入り口にたどり着きました。しかし、ドライバー氏はずっと私に付きまとって「このお土産屋がいいから寄ってみろ」だの何だのとうるさいことうるさいこと。きっとこのドライバー氏は、ラクダツアーだけでなくお土産屋ともグルに違いありません。こっちはゆっくり観光したいのに面倒なことこのうえなしです。そこで、トイレに寄ったのをいい機会にドライバー氏を置き去りにして、一人でピラミッド見物に出かけました。

ピラミッドとスフィンクス見物を十分満喫して「そろそろ帰ろうかな」と思って出口に来ると、件のドライバー氏が所在なげに佇んでいました。そこで私が「いやー、迷っちゃったよ」と笑いかけると、ほっとした表情で「突然いなくなったんで心配したよ」と言ってくれて一件落着。この後は寄り道もせずにホテルまで連れて行ってくれました。

エジプトにとって観光は主要な外貨収入源の一つです。観光客がカイロ市内を歩くと、さまざまな商売の人たちが何かと声を掛けてきます。ある時、私がカイロ市内を歩いていると、日本語で話しかけてきたエジプト人がいました。神戸に住んでいたことがあるということで、「実は近くに妹がやっている店がある。今日はあなたに会えた特別な日だから、お茶をご馳走する」と言うのです。それでついていくと、そこはパピルスの店。いつの間には何枚かのパピルスを並べての商談になっていた、と言う次第。「せっかくエジプトに来たのだからお土産にパピルスでも買おう」とは思っていたのですが、まさかこんなタイミングでお土産を買うはめになるとは思ってもいませんでした。

旅行者と思われたら片っ端から声をかけられて、物を買うにも価格表示がないので面倒な交渉をしなくてはならず、しかも「ぼったくり」もままあるというエジプト。でも、日本に居ては絶対に味わえない衝撃的な体験は、今から思えば「世界」を知る貴重な経験だったと思います。スクールの主催者の「旅費を出す」と言う言葉を信じてエジプトまで行ったら、補助は滞在費だけ。結局、飛行機代などは自己負担になったのですが、その元が取れたことは間違いない、と今では思っています。