宇宙から降り注ぐ目に見えない宇宙線・ミューオン。目には見えませんが、手のひらを広げていると、今この瞬間にも1秒間に1個降り注いでいます。そのミューオンを加速器で生成し、素粒子物理学を研究する実験グループは、昨年10月に世界で初めて負ミューオニウムの加速に成功。ミューオンの磁気的・電気的性質を精密に調べることで、素粒子標準模型を超える理論やこの物質優勢の世界がどのように成り立つのか、分かるかもしれないといいます。実験代表者のKEK素粒子原子核研究所准教授 三部勉さんに聞きました。
ミューオンの実験に携わるようになったきっかけは?
「大学院時代は、兵庫県にある大型放射光施設SPring-8(スプリングエイト)で光からハドロンを作る実験をしており、その後、米国ジェファーソン研究所を経て、米国ブルックヘブン国立研究所(BNL)のRHIC加速器で、陽子スピンの成立ちを研究する実験をしていました。そこで、齊藤直人さん(現・J-PARCセンター長)と岩崎雅彦さん(現・理化学研究所 中間子科学研究室長)が発案した新しいミューオンの双極子能率測定のアイディアを聞き、あまりにも面白そうだったので、加わることにしました。2009年のことです」
ミューオンを冷やして加速する、というところがおもしろいのですか。
「ミューオン異常磁気能率(g-2)や電気双極子能率(EDM)の精密測定実験は、2000年代にBNLで行われていました。ミューオンは陽子から一旦パイ中間子に壊れて、そこから出てくる『孫粒子』なのですが、崩壊の過程で分散して、方向もエネルギーもバラバラに広がってしまうのです。BNLの実験では、直径10センチくらいのミューオンビームを直径約7メートルのリングで回して実験していましたが、ビーム収束のために強い電場をかけていたので、それが制約となっていました」
そこでミューオンの向きをそろえようと。
「広がったミューオンを一旦止める(冷やす)ことで、エネルギーと速度をリセットします。その後に一方向に加速すれば、全部のミューオンが同じ方向を向くため、指向性が高いビームができます。そうすることで、BNLの実験で制約となっていた条件がなくなり、直径66cmのコンパクトな磁石を用いてより精密にg-2が測定できるようになります。目指している精度を例えていうと、1メートルの棒の長さを、BNLは1ミクロン単位の精度で測定したものを、J-PARCでは0.1ミクロンの精度で測ろうとしています」
それは極小の世界ですね。それを測ると何が分かるのですか?
「BNLの実験結果は2006年に発表されているのですが、そこでは、理論の値とのズレが報告されています。これが本当なのかを検証するのがJ-PARCの実験の目的の一つです。そのズレが確定すれば、何らかの未知の粒子や力が影響していると考えられます。そのため、CERNのLHC(大型ハドロン衝突型加速器)で超対称性粒子がすぐに見つかるのではという一つの根拠にもなっていました。LHCで超対称性粒子は現在までに見つかっていないので、理論の世界でも混迷してきています。その中で、ミューオンg-2やEDMの精密測定では、現在考えられている素粒子標準模型を超える理論、物質優勢の世界を理解する手掛かりになるものが得られると思います」
順調にいけば、いつ頃その成果が得られそうですか?
「昨年10月に負ミューオニウムを初めて加速する実験に成功しました。今後は、きちんと冷えたミューオンビームを加速する段階に進みたいと考えています。やることはたくさんありますが、順調にいけばビームラインの建設、加速器、測定器の建設を経て予算措置後3年くらいで実験開始できるよう準備を進めています。新しいミューオンビームを使った双極子能率測定という革新的なアイディアを、速やかに実現していきたいです。」
実験以外の楽しみはありますか?
「お酒は好きです。茨城県内でも、東西南北で地域によって水質が違うので地酒の味も違います。地元の酒屋さんにそういうことを教えてもらいながら、味わうのが楽しみです。また、6歳の娘と一緒に映画に行ったり、スタンプラリーに行ったりもしています」
ありがとうございました。
(聞き手 広報室・牧野佐千子)
三部さんは11月17日(土)開催のKEK公開講座の講師を務めます。詳細はこちら。