【KEKのひと #30】山を旅して世界を知った 北村節子(きたむら・せつこ)さん 3/3

山を旅して世界を知った 北村節子(きたむら・せつこ)さん

時間は前後するが、1985年には八王子支局配属に。86年の雇用機会均等法施行をにらみ、ようやく増えてきた女性記者を支局配属し始めていたその流れでもあった。休みが取りにくく、この間は少しだけ山と距離を置いた。市政を担当、霞が関とは異なる地域レベルの話がまた面白い。

すでに結婚していたので都心の自宅からの通勤が許されたが(原則では支局付近在住)、時間短縮に二輪免許を取って高速道路通勤を始めたらこれがたまらない。地元クラブに入って、主にオフロードで遊び、ついには8時間障害耐久レースにも出場。二人チーム、「どうせなら女性同士で走りたい」、と地元スナックママのやよいちゃんをヘッドハント。泥だらけで完走したのも、山とは違うアウトドアの楽しい思い出だ。

本社に戻ってからは、新聞社が担当するテレビ枠のニュース・ディレクターや、生活情報部のデスク、調査研究本部主任研究員を経て、読売新聞での定年を迎えた。その後、法務省に呼ばれ、刑事事件の受刑者の恩赦にかかわる中央更生保護審査会委員に就任。6年間、殺人や強盗、傷害、放火、あらゆる事件の犯行の細部に至る訴訟資料をつぶさに読んで判断する日々。「新聞記者としておおかたの社会の裏を知ったつもりだったけれど、底板をめくったらそこにもう一つ、別の世界を見たような感じだった」という。

1995年、二人合わせて100歳を記念してアイガー登攀。持っているのは「二人合わせて101歳」と書いたシーツの旗。北村さんの誕生日の都合で1歳オーバーしてしまった。(北村さん提供)

50代、さすがに戦闘的な遠征はおしまい。夏休みごと、田部井さんを筆頭に、親しい4、5人でヨーロッパに出かけ、現地でアパートを借り、地元の食材を買って手料理で滞在。地図を広げては翌日のコースを決め、装備を整えて日帰り登山を重ねてきた。途上国とは違う洗練された社会の清潔な山旅。山遊びも、「いつまでも最先端でがんばるのがすごい」とは思わない。「年齢に応じた姿がある」、と思っている。

2016年10月、田部井さんが逝去。今でも山で素敵な景色に出会うと、「一緒に見たかったな」と、さみしくなる。「長い付き合いで、それも狭いテントで寝起きする間柄だったから、もうほとんど『血肉の関係』だったな」。

審査会の任期終了一年後、KEKから声がかかった。KEKと聞いても知識がない。ただ、持ち前の好奇心で「一度見学を」と訪ねてみて、気持ちが変わった。宇宙のはじまりを探るのだという巨大にして精密な測定器、加速器には圧倒されたし、美しかった。2016年、KEKの監事に就任。SFのような世界に足を踏み入れた、これも冒険。今は物理のイロハ本を読みながらの「周回遅れの理解」だが、「これだけの国費を使いながらの事業。成功してほしいし、国民に理解してもらう努力をもっとしなくては」と語る。「それが研究への支持を得る近道」とも。

「組織運営のプロでも、物理の専門家でもない私。たまたま、女性採用の時代の波で、長く仕事を続けてきた私に巡ってきたポジションと認識しています。でも、この特殊な世界、専門外のおばさんの世間知を『衝突』させてみるのも、興味深い実験だと思わない?」。

こんなところでも衝突実験が行われていたとは。この世界は奥が深い。

(聞き手 広報室・牧野佐千子)

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