KEKの歴史を記録する史料を収集・管理する史料室の前室長で、自らも日本で初めての衝突型加速器実験「トリスタン実験」などに研究者として参加。日本の加速器の歴史とともに年を重ねてきました。バッハや鉄道など、趣味も多彩。その構造を分析し、物理の理論に結び付ける根っからの”物理好き”、菊谷英司さんにインタビューしました。
―ご自身が物理に興味を持たれたのはいつ頃ですか。
「小学生のころからテレビの科学番組を楽しみにしていて、ものを壊していったら何になるだろうと突き詰めて考えていくのが好きでした。中学生の時には新書の素粒子物理学の本を読みふけっていました。高校の時、研究者になろうと学校の先生に『理科系で、日本で一番すごいところはどこですか』と聞いたら京大を勧められ、京大に進学しました」
―学生時代はどのようなことを勉強されていたのですか。
「大学院は東大に進んで、『K中間子の稀な崩壊』の素粒子実験をしていました。当時からほとんどKEKで研究していたので、大学院5年間で東大のキャンパスにいたのは1年半くらいです」
―そのままKEKに入られたのですね。KEKではどのような研究を?
「1987年に完成したトリスタンは、ビーム同士をぶつける日本初の加速器です。その加速器で制御やビーム光学の研究をしていました。途中から、B中間子の実験のほうがおもしろいのではと思って、そちらの研究に力を入れようとすると怒られました(笑)80年代は、トリスタン成功に向けて皆で進もうという時代でしたから」
―その後はどうされたのですか?
「現在のSuperKEKB加速器の前身、KEKB加速器の開発に携わりました。電子ビームと陽電子ビームを衝突させてB中間子とその反粒子の対を作り出す加速器です。加速器は1998年末に完成して、99年に測定器と合体するロールインを行い、本格稼働しました。2001年には後にノーベル物理学賞を受賞する『小林・益川理論』が正しいのだというのを、この実験で証明することができました。2008年に2人がノーベル賞をもらった瞬間は、一番うれしかったですね。この道に進んできてよかったと思いましたよ」
―バッハの音楽や鉄道がお好きと聞きました。
「バッハは、楽譜に起こすと幾何学的に上下や時間軸で反転しているような音楽を、即興で作ってしまったりするのです。その構造が物理の枠組みと似ていて、物理好きにはたまらない。バッハの曲を聴いていると頭がすっきりしてきます。鉄道を見ていても、つい車体の構造を分析したりしてしまいます。物理屋の特性ですね」
―ありがとうございました。
(聞き手 広報室・牧野佐千子)