様々な物質をX線で調べると、分子レベルでの構造を見ることができる。「これを見てみたらおもしろそう」というスタンスのもと、この研究分野ではこれまでに誰も思いつかなかった新しい手法を開発するアイディアマン。たとえば、海の近くの橋に使われている鉄鋼のサビはどう進行していくのか?それを見るために独自の手法を開発している。ホウレンソウと牛乳のカルシウムは人の体への吸収率がなぜ違うのか?実はこれまでは推測のままだったが、X線を使ってそれを明確に、示した。
小学生の時、方位磁石が「なぜ北を向くのか」不思議だった。縫い針を磁石に付けて一晩置いておき、水に浮かべると、針も方位磁石になった。このころから、不思議への科学的な探求心が芽生えていた。
東京大学教養学部理科I類だった1年生の時、物理を専門にしようと考えていた。現在は分子科学研究所教授の横山利彦助教授(当時)の磁性についての講義を聞き、2年生で学科を選択するときには、その横山先生が所属する太田俊明教授の研究室がある化学科を選んだ。有機化学を志す学生が多い化学科では”変わったヤツ”と言われたという。幼少のころの謎がここに結びついた。慶應義塾大学の近藤寛教授の研究室の助教を経て、2010年4月、KEK物質構造科学研究所に准教授として着任し、放射光を利用した研究を展開している。
通常、物質の表面を研究するには、「軟X線」を使う。「軟X線」は空気も通り抜け難いので、実験の際には真空状態にして原子レベルの表面の情報を測定する。真空状態だけに、表面の原子や分子の配列がとてもきれいに見える。しかし、例えば鉄のサビの進行などを調べるのであれば、実際に物質が使われている状況下に置かなければ意味がないのではないか、と疑問がわいた。空気、湿気、熱、潮など、実際の状況に置きながら実験ができる「硬X線」で表面の構造が見られないだろうか。
2011年当時は知っている限り、その研究をしている人はいなかった。はじめのうちは研究費用がなく、その辺りに転がっている銅の表面を調べてみた。目で見てもザラザラしている。解析に使うX線の反射の光は、24時間体制でじっと観察しても見えてこない。その様子を笑いに見に来る同僚の研究者もいた。そのような試行錯誤が実を結び、現在は、硬X線を物質表面に全反射させて局所構造解析を行う手法が確立されつつある。
また、ホウレンソウと牛乳のカルシウムは、量は同じだが人体への吸収率が違う。これまで約30年間推測されてきた説を、X線を使って分子レベルで明確に示すことにも成功した。食品科学の分野にもX線吸収分光の技術を応用することで、新しいサプリメントの開発などにもつなげられるのではないか、途上国と言われている地域の栄養改善にも役立てるのではないか、とも考えている。
今秋には、自らホストとなってアフリカ・ボツワナからの研究者をPFで受け入れる。アフリカ大陸に初の放射光施設を建設しようという活動の一環だ。PFを立ち上げたときは、当時の放射光先進国にお世話になったのだから、今度は次の世代の人や地域のために貢献するのが、自分たちの役割だ。アフリカ独自の文化や鉱物、病原菌などの解析に有効利用される日も近いかもしれない。
趣味はトライアスロン。最も多く出場した2013年には年間7~8レースに参加した。「アイアンマン」といわれるレースは、水泳3.8km、自転車180kmののちフルマラソンを走りぬく。一つ一つのレースが旅のようで、ゴールに近づくと「この楽しい時間がもう終わってしまう」と少しさみしくなるのだという。
研究でも、トライアスロンでも、彼には目の前の障壁は問題ではない。遠く先にあるはずの美しい世界がきっと、見えているからだ。
(広報室 牧野佐千子)