発表のポイント
◆電子とその反粒子である陽電子でできた「原子」であるポジトロニウムは、2個の素粒子だけでできているという単純さから既存の理論による計算と実験データを緻密に比べて、理論を超えた未知の物理現象の探索実験ができます。そのためにはポジトロニウムを絶対零度近くまで冷やす必要がありますが、冷却が難しく、絶対零度にほど遠い100ケルビン程度までしか達成できていませんでした。
◆原子を絶対零度近くまで冷やす手法として、レーザー冷却と呼ばれる方法がありますが、ポジトロニウムは1000万分の1秒程度で「対消滅」という現象を起こしてなくなってしまうこともあり、これまでの方式が使えません。今回、独自の技術によって波長が急速に変化するパルス列のレーザー光を開発し、対消滅が起きるより早く1ケルビンまで急冷することに世界で初めて成功しました。
◆今後、光によるエネルギー準位や質量の精密な測定が可能となり、物理学の基礎理論の検証や反物質の性質の理解など、物理学が抱える謎を解くための研究分野が大きく進展します。
概要
東京大学大学院工学系研究科の吉岡孝高准教授、周健治助教と、同大学大学院理学系研究科の石田明助教らによる研究グループは、高エネルギー加速器研究機構(KEK)物質構造科学研究所、産業技術総合研究所と共同で、レーザー光によるポジトロニウム(注1)の急速な冷却を世界で初めて実現しました。
独自に開発したレーザー光源を使用することで、理論提案から30年の間実現が待たれていたポジトロニウムのレーザー冷却(注2)に成功し、わずか1000万分の1秒の間に、従来よりも桁違いに低温の気体にできることを証明しました。物理学は、宇宙に反粒子(注3)がほとんど残っていないことや、暗黒物質の起源など、多くの謎を抱えています。これを解決するため、基礎理論の綻びがどこにあるのかを検証する研究が世界中で進められています。本研究成果は、電子とその反粒子だけでできた最も基本的な原子を使って、基礎理論が現実をどこまで正確に表現できているのか、さらには反粒子の質量や重力の影響を精密に調べる研究を可能とするもので、今後大きな学際的研究分野の形成が期待されます。
(注1)ポジトロニウム: 電子と陽電子(電子の反粒子)が、電子と陽子でできた水素と同じように電磁相互作用によって引きつけ合い、「原子」となったものはポジトロニウムと呼ばれています。1951年に実験的に発見されました。電気的に中性で電子2個分の質量をもつ最も軽い原子です。また、電子も陽電子もレプトンと呼ばれる素粒子であるため、ポジトロニウムは最も単純な原子でもあります。陽子は、3つのクオークが強い力によって結びついた複合粒子であり、素粒子ではありません。なおポジトロニウムには、電子と陽電子のスピンの関係により、寿命が約100億分の1秒のパラ・ポジトロニウムと寿命が約1000万分の1秒のオルソ・ポジトロニウムがあります。本研究で冷却したのは寿命の長いオルソ・ポジトロニウムです。
(注2)レーザー冷却:原子は、固有の波長の光子を吸収した後に、光子を放って元の状態に戻るという性質があります。光子は運動量を持ちますので、これらの過程の際に、吸収される光子や放出される光子とは反対方向への反跳の運動量が原子に加わります。レーザー光は定まった方向に伝わる揃った光子の集まりであり、原子にその運動に対して逆向きに進むレーザー光を吸収させると、減速します。一方で、原子が光子を放つ際の向きはランダムになるため、レーザー光の吸収とその後の光子の放出を繰り返すことで原子の減速が進むことになります。これがレーザーによる原子の冷却の原理です。実際には原子の運動の速度に応じて、原子が吸収する光子の波長がドップラー効果によって異なることを考慮に入れる必要があります。原子のレーザー冷却やトラッピングの確立には1997年にノーベル物理学賞が授与されています。
(注3)反粒子:電子をはじめとする素粒子や、陽子のように複数の素粒子で構成される複合粒子には、質量とスピンが等しいものの電荷が反対の粒子が存在し、これらを反粒子といいます。電子の反粒子が陽電子であり、1932年にアンダーソンによって実験的に発見され、1936年のノーベル物理学賞が授与されています。
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