「量子ビームサイエンスフェスタ」――。耳慣れないイベントかもしれませんが、量子ビームを利用する国内の科学者たちには周知の「祭典」で、KEK物質構造科学研究所(物構研)やJ-PARCセンターなどが主催する、「放射光・中性子・ミュオン・低速陽電子」という4つの量子ビームを利用した研究に関する年次シンポジウムです。研究者や技術者が集い、分野を超えた交流や研究成果を共有しながら、量子ビーム施設の利用促進と将来の展望を議論する場となっています。

2025年度の量子ビームサイエンスフェスタは、3月11日から3日間、水戸市民会館で開催されました。参加者は607人でした。プレゼンターを務めた研究者たちはその分野の最先端の研究を推進する先駆者ばかりです。その検証と成果にKEKのビーム施設がどう貢献したか、登壇者のうち4人の研究者に伺いました。
中性子ビームを使って、繰り返し使える接着剤の形成を可視化
糊やボンド、瞬間接着剤などを使っていて、まちがえては付け替えたり、はがしたりしたり、挙句の果てに「あぁ…」とあきらめる…だれしもそんな経験があることでしょう。「繰り返して使える接着剤」があれば、そんな作業の失敗や不良を激減させる画期的な製品になるはずです。大阪大学の山岡賢司助教がフェスタでプレゼンテーションをしたのはまさに、再剥離可能な「高分子接着材料の開発」という研究成果でした。山岡助教らの研究チームは中性子反射率法という解析手法を用いて接着界面を可視化することで新たな接着技術を開発しました。その解析で東海キャンパスのJ-PARC 物質・生命科学実験施設(MLF)のパルス中性子ビームなどを使用しました。

「使ったのは中性子です。中性子ビームは物質を透過する際の特性が同位体ごとに異なるので。X線では観察できない構造を可視化できる中性子が必要になってくるんです。J-PARCには世界最強のパルス中性子ビームがあり、実験で使ったソフト界面解析装置(SOFIA)は私たちの研究になくてはならない存在です」と山岡助教は言います。
山岡助教が初めてJ-PARCの施設を利用したのは6年前、大学院生のときでした。登壇したフェスタ当日も、J-PARCでの解析の合間を縫っての参加となりました。
ミュオン触媒核融合の研究で、世界最大強度のパルスミュオンに期待
同じくMLFを利用する中部大学の岡田信二教授は、「TES検出器」と呼ばれる超伝導検出器を用いたミュオン量子ビーム実験について発表しました。TES(Transition Edge Sensor)検出器とは、入射したX線のエネルギーを極低温での微小な温度変化として検出し、物質が超伝導から常伝導へ転移する際に電気抵抗が大きく変わる性質を利用して高精度で測定する検出器です。

「私たちが研究する特異な原子『エキゾチック原子』では、原子から放出されるX線のエネルギーを高精度で測定することが重要になります。私たちはこのTES型検出器を用いた測定技術の確立と、加速器ビームラインでの実験に適用するための工夫を長年進めてきましたが、2016年にJ-PARCハドロン実験施設のビームラインにおいて、K中間子によって生成されるエキゾチック原子の精密X線分光を初めて実現しました」と岡田教授はこれまでの経緯を説明します。この実験によって加速器ビームラインのような強い放射線環境下でもTES検出器を安定して運用できることを実証した岡田教授らの研究グループは、この成果を基盤としてミュオンビームを用いた実験へと研究を発展させ、今回のミュオン原子の高分解能X線分光実験へとつなげてきました。
岡田教授は大学院時代にKEK素粒子原子核研究所で実験を重ね、陽子シンクロトロンを用いた研究で博士号を取得。その後、2019年からMLFでミュオン実験を開始するまでの間、イタリアのフラスカーティ国立研究所でK中間子を用いたエキゾチック原子研究に取り組みました。帰国後はJ-PARCを拠点として、TES検出器を用いたエキゾチック原子の精密分光研究を発展させるとともに、大強度ミュオンビームを用いた実験を本格的に展開しています。岡田教授の研究チームは現在、ミュオン触媒核融合の研究を推進しており、世界最大強度のパルスミュオンを供給できるJ-PARCミュオン施設に大きな期待を寄せています。
つくば・東海双方のビームラインが新規磁性材料の最先端研究を支える
「フォトンファクトリー(PF)のBL-3A(極限条件下精密単結晶X線回折ステーション)を利用しています」と言う東京大学の山田林介助教は量子磁性材料を作ることを専門とする研究室に所属して、物質合成と輸送測定を通じて、物質固有の特性がなぜ現れるのか、その起源を調べています。フェスタでは、世界が注目するスピントロニクス材料や量子デバイスの応用研究への貢献が見込まれる新規反強磁性体の研究について発表をしました。

電子の運動方向に応じてスピン分裂の符号が反転する性質を持つ「p波型スピン分裂」とう現象は、これまで理論的に予言されていたものの、安定した物質中で実際に観測されたことはありませんでした。山田助教らの研究チームは、このp波型スピン分裂が、結晶格子(結晶の繰り返し周期)の偶数倍周期となるらせん磁気構造を持つ反強磁性体の一つ、「p波磁性体」の中に出現することに着目。つくばキャンパスのPFでの共鳴X線散乱による測定、東海キャンパスのMLFでの中性子散乱による測定をそれぞれ行い、結晶中の原子配列の繰り返しの6倍の周期を持つ磁気構造を観測し、金属 p波磁性体の存在を実証することに成功しました。
助教に着任して4年、放射光施設には3、4人の学生と一緒に来ることが多いと言います。「外の施設に出て実験をするというのは、彼・彼女たちにとって新鮮な体験になるようで、泊まりがけで実験を終えて帰ると、非常にモチベーションが上がっているように見えます」と山田助教自らの経験を含ませながら後輩たちへの思いをにじませます。
大学共同利用の機能を最大限に活かして
唯一、学生(大学院生)としてプレゼンテーションに立った筑波大学の大学院(応用理工学)で研究する興梠紗英(こうろき さえ)さんは、配属先である後藤博正准教授の研究室を代表して登壇しました。
後藤研究室では導電性高分子(共役系ポリマー)の合成手法や機能性材料の研究を行っています。今年のフェスタで発表した研究成果は、液晶技術を用いた光学活性高分子の合成に関する研究でした。キラル(掌性)な液晶を溶媒に用いることで、らせん構造の巻方向を一方向に精密に制御するポリイソシアニドを合成して結晶構造を調べたところ、らせん構造に基づいて物質中を通過する光の偏光面を右または左に回転させる光学活性を確認しました。結晶構造(らせん構造)を精密に制御しながら、停止反応を起こさずに分子鎖を成長させる高分子合成法「不斉リビング重合」を成功させたのは世界初のことです。

「回析ではフォトンファクトリーのBL-8BにあるX線回折装置(XRD)を使用しました」と興梠さん。XRDは、物質にX線を照射し、回折されたX線のパターンから結晶構造や組成、配向性、結晶子サイズなどを非破壊で解析する分析手法で、2024年に後藤研究室が取り組んだ磁場に対する円偏光活性をもつ「らせん導電性高分子」の検証でもPFのXRDが貢献しました。
興梠さんが初めてKEKを訪れたのは、大学4年生の時。「その大きさにびっくり」した後、「学生であっても、こういう国の研究施設を使わせてもらえるんだ」と当時を思い出しながら、「液晶中で重合反応させるという事例は、今までに成功例がありませんでした。大学内にもXRDはあるのですが、精度が著しく異なるので、ここのXRDだからこそ、今回の新たな液晶の発見に至ったと思っています」とXRDと大学共同利用機関の存在を評価します。
震災を乗り越えた経験も糧に
開催初日の基調講演で、フォトンファクトリーのユーザー組織であるPF-UAの会長を務める慶應義塾大学の近藤寛教授は東日本大震災の被害に触れ、この15年の間に乗り越えてきた数々の課題や困難に思いを馳せながら、「震災の時、私たちがその困難な状況を乗り越えてきたように、今ある大きな問題やこれからの壁を乗り越えていけると信じています」と述べました。
来年のフェスタはつくばでの開催です。
コメント
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PF-UA会長 近藤 寛・慶應義塾大学教授
ちょうど15年前の東日本大震災の時、私の学生がフォトンファクトリーに来ておりまして、私どもの装置は真横に倒れてしまい、PFのリングも大きな被害を受けたと報告がありました。研究途上の大学院生の学生たちを抱えて、これからどうしたらいいかと途方に暮れたものでした。そこにフォトンファクトリーから「海外の施設に行って実験をする」という手厚くサポートをいただき、おかげでその海外の施設と強い関係を作ることができて、その後の研究の後押しになりました。
PFの復旧は驚くほど早く進みまして、私どもも修復した装置を使って、翌年には新しいデータを取ることができるようになったと記憶しています。PFのハード面としての強さと、それを動かす施設の研究者・技術者の実力というのをしみじみ実感した次第です。
PFが建設されて40年以上経ち、ハードとしての老朽化に対しては喫緊の課題があります。放射光施設として、新しいサイエンスをどのように切り開いていくかということも考えていかなければなりません。こうした課題に向き合い議論するとき、私たちがあの震災の被害を乗り越えてきたように、これからの課題も乗り越えていけるのではないかと信じています。
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MLF利用者懇談会 会長 大山 研司・茨城大学教授
MLFの重要性、必要性は改めて言うまでもなく、広範な物質科学、基礎物理学において非常に高く、国内外の科学の発展になくてはならない存在と断言できます。
共同利用の施設においてもっとも重要なのは課題採択の公平性ですが、MLFの課題審査プロセスは公平かつオープンであり、信頼ができます。実際、ユーザーアンケートでも9割の方が課題審査の公平性を評価しています。MLFユーザーの背景はさまざまで、その要望も多岐にわたりますが、MLFはその要望を正しく把握し、可能なことは迅速に対応をしていると感じています。最近の好例として、信仰を持つユーザーのための静ひつな祈祷の場を確保してくれたことなどがありました。
MLFに限らず大型実験施設の利用は、未経験者、とくに若手研究者、大学院生にはハードルが高いものです。MLFはこの点を以前から重視し、入り口である課題申請にも多彩な窓口を用意しています。例えば、未経験者を対象にした「新利用者支援課題」、未経験者による予備実験を想定した「P型課題」、博士、修士、学士論文作成に必須の実験を対象とする「緊急課題」といった窓口を用意し、経験値の低い若手であっても適切に課題申請をできるように配慮しています。これは大型実験施設での若手育成にきわめて重要で、MLFではこうした配慮に組織的に取り組んでいます。
最後に、近隣にある茨城大学の教員としての感想です。茨城大の学生は、世界トップの大型実験施設であるMLFに第2のキャンパスのように頻繁に出入りすることができます。地方大学で研究者をめざす学生は多くはありませんが、MLFの存在を知り、MLFのアカデミックな雰囲気とその迫力を体感して企業に就職していく学生が増えていることは、わが国の開発力、研究力の強化と拡大につながっていると確信しています。