
今回も前々回、前回に続いて事務系職員の登場です。国際企画課係長の瀬戸 勇紀さんに話を聞きました。二度の文科省派遣や、CERN海外派遣中に起こったコロナ禍の話、さらには大阪・関西万博での企画立ち上げ、果ては自作のカードゲーム制作など、いろいろな切り口からの経験を聞くことができました。
KEKへの就職を決めた理由はお父さん(瀬戸 秀紀KEK名誉教授)の存在を抜きには語れないと思いますが、いかがですか?
確かにそうですね。文学部出身の私と物理学者の父とでは方向性が違いますが、「公的機関に勤めるならKEKがいいんじゃないか」と勧められたのは事実です。
学生時代は小説家を目指していました。中学の時に出会った小野不由美さんのファンタジー小説「十二国記」の魅力にはまり、彼女とその夫のミステリー作家・綾辻行人さんを始め、多くの作家を輩出した京都大学の推理小説研究会に所属しました。
実は、大学の機関誌に出した短編が某出版社の目に留まり、卒業前に本を出さないかと声をかけられたのです。でも、社会経験がない自分みたいな者がこの先作家としてやっていけるか不安があり、あれこれ悩んだ挙句、まずは就職しようと考えました。「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。衆寡敵せずと知るべし」という言葉があります。明治時代の作家・批評家である斎藤緑雨の名言で、「筆一本で稼いでも二本の箸にはかなわないと理解すべきである」、つまり文筆業では食べていくのは大変だ、という意味です。
KEKの長所はサイズがちょうどいいことです。あくまで個人的な意見ですが、規模が大き過ぎると本部と研究部門が分かれていてお互いを理解できなかったり、小さ過ぎると視野が狭いムラ社会のような組織になったりしがちです。ここでは一介の事務方でも機構長や理事とフランクに話ができますし、それでいて外部の組織にいた時には国や他の機関から一目置かれていると感じる場面が多かったです。最先端の研究を行っていて刺激的な体験ができそうだと思って入ってみたら、本当にその通りでした。
文科省での経験が2回ありますね。それぞれについて教えてください。
1回目は素粒子・原子核研究推進室への研修でした。そこで行政のイロハを教えてもらいました。1人の職員による対応が国としての発言となり、たとえ電話1本、メール1通でも決しておざなりにしてはいけないと学びました。私がいた2016年度は新しく発見された113番目の元素名が「ニホニウム」と決まった年で、記念式典の準備も行いました。
2回目はCERN研修から戻った後の2022年度からの3年間の出向で、部署は量子研究推進室でした。かのアインシュタインも不気味だと表現したとされる量子の世界が、「技術」として活用される可能性が出てきた時期です。国としても量子コンピュータなどの量子技術に力を入れ始めたタイミングでした。量子コンピュータとは、すごくざっくり言うと量子をもつれさせることにより、一気に計算ができる装置です。偶然にも自分も量子のふるまいが小説のネタになるかもしれないと調べていた頃だったので、願ったり叶ったりでした。
若年層に「量子」の裾野を広げることを目標とした人材育成の新規事業の立ち上げを任され、情報収集に励んではコラボレーションの可能性を探って大学、研究機関、教育系の企業や学習塾、自治体、科学館など多種多様な場所に足を運びました。空振りが多かったですが、とにかく当たって砕けろの精神が身についたと思います。最終的には事業は無事立ち上げられ、貴重な経験をさせていただきました。
「量子」のアウトリーチ関係の挑戦でうまく行ったことというと、とある雑誌が始めた一般向けYouTube動画シリーズとのコラボや、研究者の方々や日本科学未来館のスタッフらと有志で実施した「量子×SFプロトタイピング」の企画を発案、実現にこぎつけたことでしょうか。後者ではちゃっかり、自分もSF短編作品を書き上げることもできましたし…。それともう一つ大きなところでは、2025年の文科省学習資料「一家に1枚」のポスターは「量子と量子技術」になりましたが、そちらも監修チームの皆様と密に連携して制作させていただき、自分の中でも人脈や知見が大きく広まりました。
素粒子・原子核研究推進室と量子研究推進室の間に滞在したCERNでの生活はどうでしたか?
親しんでいたゲームの「シュタインズ・ゲート」に出て来るSERNという悪の組織のモデルだと知って興味を持っていたため、派遣者募集が出た時に志願しました。国外に出たことでCERNなど海外の機関がKEKをどう見ているか、国がKEKやCERNをどう見ているかなど多角的な視点を持てるようになった気がしています。
主な仕事のひとつに日本の官公庁、政財界などからの来訪者の視察対応がありました。文科省の研修生時代もやりましたが、会議やイベントは開催する前の準備、いわゆるロジが重要です。ヒッグス粒子を予言してノーベル賞を受賞したピーター・ヒッグス博士のインタビューをアレンジしたこともあります。CERNの中にATLAS JAPANという日本人研究者のグループがありますが、そういった研究者の方々や学生さんたち、ジュネーブ在住の国際機関や大使館関係者とも業務を通じて仲良くなり、ご飯を食べに行ったり密接な交流ができたのも、海外派遣ならではの体験だったと思います。
ただ任期は2年間だったのですが、新型コロナウイルスの発生で1年間しか滞在できませんでした。住んでいたフランスで政府が外出禁止令を出すと聞き、そうなるとスイス側にあるCERNに通勤できなくなるため、帰国することになったのです。いつもは車で簡単に通過できる国境に検問所ができて、フランスから脱出しようとする人々のパスポートをチェックしているために大渋滞が起きていました。それでやむなく1時間ぐらい歩いてスイス側に渡り、ジュネーブの空港に向かいました。飛行機はガラガラでした。成田に着いてから隔離され、しばらくホテルで仕事をする羽目に。コロナ禍初期のムードもあり、海外から戻ってきたというだけでしばらくみんなから避けられたりして、少し寂しい思いをしました。
2020年の秋頃、一時期感染者数が減ったことがあり、いったんはCERNに復帰できました。部屋に戻ってみると半年間不在だった間に台所のシンクが真っ白になっていて、それを見た時はてっきりカビだと思いました。が、違いました。ヨーロッパの水はカルシウム塩を含む硬水のため、ポタポタ垂れた水が石灰化して固まっていたのです。現地の人々は酢入りの洗剤などを使って石灰を除去しているので、必死にごしごし掃除しました。その後、再び感染者が激増して、1ヶ月そこそこでKEKに戻るようにと命令が出ました。結果的には住居の解約のために戻ったようなものでしたが、振り返ってみればあれも得難い経験ではあったと思います。
大阪・関西万博の企画展示にも関わったと伝え聞いたのですが、具体的にはどういうことを担当したのでしょう?
2025年は量子力学の基礎となる理論発表から100周年に当たり、ユネスコで国際量子科学技術年と定められました。ちょうど同じ年に大阪・関西万博が開催されるので、文科省として展示を出すべきではないかということになり、時の上司にまずは企画を出すべし、と言われました。そこで考えたのが「エンタングル・モーメント」です。「量子もつれ」を意味する「エンタングルメント」と「瞬間、力、思い出」の「モーメント」を合わせたネーミングで、地下鉄に乗っているときにふと思いつき、プロデューサーからも即決でOKをいただきました。
当初は本当に直属の係長と2~3人ぐらいからの船出で不安いっぱいでしたが、2000平米のスペースが認められたため、これまでに得た人脈に片っ端から声をかけて賛同者を募った結果、最終的には約20機関、800人以上のスタッフからなるチームができあがりました。アートとサイエンス、それも難解な量子という極めて難易度の高いテーマでしたが、1週間で6万人を超える入場者があり、少しでも多くの方に量子の魅力が伝えられたのかなと思えば、満足です。
国際企画課での業務内容についても教えてください。
最初は北米担当でした。米国生活が長かった尾崎敏KEK名誉教授を追悼するシンポジウムに関わりました。日米事業ではワシントンD.C.に、TRIUMFのKEK分室を作る際にはカナダに行きました。今はヨーロッパ担当です。ドイツのDESY、スイスのPSIという研究所に出張する機会がありました。あとは、KEKと海外機関との協定の締結に係る業務が多いですね。最近では、1月に就任したばかりのマーク・トムソンCERN所長がKEKを来訪した際の講演会開催等をアレンジしました。
手にしているカードは趣味ということで持って来ていただいたものですね。
これは私が自費で制作した2人で対戦するカードゲームです。エルヴィン・シュレディンガーによる有名な量子力学の思考実験「シュレディンガーの猫」がモチーフになっています。ルールは簡単で、真ん中にカードを4枚並べます。そのカードの絵が自分に向いていたら生きている猫、相手に向いていたら死んでいる猫、裏返しになっていたら生死がわからない重ね合わせの状態です。量子コンピュータの量子ビット操作(重ね合わせやもつれ状態を制御する技術)からヒントを得た手持ちのカードを駆使して、生きている猫のカードを多くゲットした方が勝ちです。
量子コンピュータの第一人者、大阪大学の藤井啓祐先生にお見せしたところ、とても気に入って、大学の学園祭のカードゲームイベントに使ってくださいました。その流れで、日本科学未来館でも同様の催しが2回行われ、さらにありがたいことに東京都現代美術館で現在開催中の「ミッション∞インフィニティ|宇宙+量子+芸術」でも展示していただいています。
どのようないきさつで藤井教授と知り合ったのですか?
先程お話しした雑誌のYouTubeチャンネルに企画を持ち込む際、文科省で一緒だった大阪大学からの出向者が間をとりもってくれたのが最初のご縁です。様々な機関や企業からの出向者の方がいましたし、KEKやCERNでのご縁もそうですが、今後もそういった人の繋がりは大切にしていきたいと思います。

最後に聞きたいのですが、KEKを舞台にした小説を書くとしたらどのような内容にしますか?
うーん……。ありがちかもですが、殺人事件が起きて主人公が筑波山麓の謎の怪しい組織KEKに潜入するというストーリーはどうでしょう(笑)。少しSF要素もあるドキドキする話がいいですね。中国の「三体」(劉 慈欣著)のような、スケールの大きいミステリーにしたいです。
社会経験を積みたいと入ってから10年余り、もうすでにいろいろな業務を担当しましたね。まだ30代、きっとこの先も貴重な仕事に携わる機会が訪れると思います。執筆を続けつつ、将来のKEKを担う人材としてますます頑張ってください。
(聞き手:広報室 海老澤 直美)