【KEKのひと #52】「KEKの成果を一緒に万歳したい!」藤又彩夏(ふじまた・あやか)さん

不自由な足で杖を突きながら歩くKEK総務課評価調査係の藤又彩夏さんは、高校生の時に交通事故に遭って以来、障害を抱えて生きている。「障害者のため」に作られたものでも、結局みんなが便利に使えるようになるんですよね、と、キャンパスの階段横にあるスロープを颯爽と上る藤又さん。どのような思いでKEKで働くのか。本人に聞きました。

KEKの「評価調査」係の仕事とはどのようなものでしょう?

「KEKは全体として、6年分の中期目標・中期計画に沿って活動を決めています。それを決める、また、目標を達成するために年度ごとの計画を設定するお手伝いなどをしています。業務実績の報告書のとりまとめや、それを文科省に提出することなども仕事です。

所内の各種報告書や、実績のデータが集まってくる部署です。科研費 (科学研究費助成事業)がいくら集まっていて、この部署に何人の人が入ってきた、PF (フォトンファクトリー)利用の自己収入の獲得実績、クロスアポイントをどれだけしました、などなどです。そのデータを、各所の目標を決めるヒントになるようにしてお出しするのも大事な仕事です。

統計資料はたくさん集まってくるのですが、評価調査係だけで抱え込んでしまっていてはもったいないなと最近考えています。KEK全体を見渡せるようないいデータが集まってくるので、見せ方や集め方を工夫すれば、もっといい資料が作れたり、もっと有効な目標設定ができたりするのになと思います」

ほかにどのようなことができそうですか?

「データをどう集めるか、どう持つか、どう見せるかを工夫すると、もっとおもしろい仕事ができるようになるのになあと思います。お役所的な『説明責任』という意味では、果たしているとは思いますが、機構の成果を発信すべきなのは文科省に対してだけではない。例えば、求職者も、企業も、それぞれ知りたいことは違うと思います。そういう意味でも、ポテンシャルのある係だと思っています」

もともとデータの収集や分析がご専門なのですか?

「いいえ、そういうわけではないです。データが目の前にある、でもそれをきちんと使えない。自分に知識がないのが悔しいとよく感じます。その思いから、昨年末に独学で『基本情報技術者 』という資格を取りました。 また、4月から大学に入りなおして資格を取ろうかと考えています。見やすい資料を作る、わかりやすい資料を仕上げることを追求するために、心理学や経営学などを学びたいです。

もともとは医学系の勉強をしていたのですが、理系の知識だけではデータは使いこなせない。どんどん考え事の材料を集めても追いつかないのですが、それってすごく幸せなことだなと思います」

大学は医学系の学部に行かれたのですか?

「大学は、筑波大の医学群医療科学類というところで臨床検査学を学んでいました。遺伝子検査が専門です。高校2年生の時に交通事故に遭い、背骨を折って寝たきり状態になりました。高校を中退してリハビリをして、大学に入学したのですが、体が不自由な状態で大学に通うのがつらく、また、英語の識字障害もあったので、心が折れてしまい、在学中に過労で倒れてしまいました。研究で科研費を取ってもいたのですが、『もう無理かも』と大学を中退しました」

大学を中退されてからはどうされたのですか?

「大学を休学している間に、茨城県のクリエイター支援事業 『いばらきコンテンツ産業創造プロジェクト』に参加しました。体の弱い人でも働けるポテンシャルがあるという意味でも、シナリオライターの会社を起業しようと考えていました。でも、取引先や周囲の人は、若い女の子の話をなかなか聞いてくれない。なかなかうまくはいきませんでした。

それからIT系のベンチャー企業でアルバイトをしていたのですが、コロナ禍で廃業となり、未払い賃金があったので労基署に行ったりして会社と戦ったりもしました。私生活では、クリエイター支援事業で出会った人と結婚したのですが、DV(ドメスティック・バイオレンス)に遭い、離婚も経験しました。女性で、かつ障害者って、生きていくのは大変だなと実感しました」

それからKEKへ?

「はい。ご縁あって、施設部と情報基盤管理課 でパートタイムの仕事をしていたのですが、2021年7月、国立大学法人職員等採用試験を一発勝負で突破して、KEK1本に絞って面接を受け、10月1日に正規職員になりました」

KEKで働いていく上での目標は何でしょう?

「業務効率化のエキスパートになる、というのをここで働く上での目標にしています。大学1年生の時から、学長と学生が語る会に呼ばれて、大学運営の意見交換などをしていたこともありました。永田学長に将来の夢を聞かせてほしいと聞かれ、『新しい人になりたい』と答えたことがあります。

もしも既存のフレームでは戦えないということが起こった時に、とりあえずコイツをいれておけば良い方向に進めるだろう、という人間になれれば、という思いからです。つらい目に遭ってきましたが、私がここで仕事をしているということが、もしかしたら誰の励みになるかもしれない。

大変なことを乗り越えて就職した障害者仲間の中には『努力すればできるんだからすればいいじゃん』という考え方の人もいますが、私は、自分が我慢して乗り越えたことは、誰かを我慢させて追い出しているのだと、なるべく思うようにしています」

KEKで働く意味は何でしょう?

「大学生の時に、KEKに見学に来たことがあります。体の回復がおぼつかなくて伸び悩んでいる時でした。その時に、『不自由な人がいるということは、科学の怠慢だ』という言葉を聞きました。社会の進化に合わせて適切な科学技術が提供されていたら、不自由な人はいないはず。例えば、眼鏡をしている人から眼鏡を取り上げたら、全員視覚障害者になるわけです。

その言葉に励まされて、ここで科学の手助けをする人生、不自由な自分や周りの人のために、基礎科学の発展を手伝っていける人生にできたらと。KEKには、上辺だけのイノベーションでなく、世界そのものを良くする力があります。KEKから何らかの成果が生まれたときに、一緒に万歳できる人生だったら、それはいい人生だなと思います」

(聞き手:外部資金室 牧野佐千子)