【KEKのひと #47】自身の「なんで?」に正直に 北村未歩(きたむら・みほ)さん

「何が起きているのか知りたい」という北村未歩さん
「なんで?」を考えるのが好きだ。友達と楽しく会話している時でも、ふと「なんでだろう?」と疑問がわき出す。周囲は「また『なぜ子』が始まったよ」と茶化しつつ、受け入れてくれる。研究のモチベーションもそこにある。「何が起きているのか知りたい」。とにかく純粋に、なぜ?を考え、調べて、知ることが楽しいのだ。

幼少期から中学生までは、どちらかというと文系科目が好きで、学校の先生や通訳になりたいと思っていた。高校の時、様々な現象の仕組みをきちんと式で表せる物理の世界のおもしろさに気が付いた。映画「アルマゲドン」をきっかけに、「宇宙飛行士になりたい!」と東京大学理科I類に入学。しかし大学では、電気が流れる仕組みや、磁石の成り立ちなど物性物理の分野が「おもしろすぎる」と虜になり、工学部応用化学科に進学した。東大の修士を終え、2009年、材料研究ができそうだと、村田製作所に就職した。

ところが、時代はリーマンショック直後の混乱期。他の企業では「内定切り」も行われる中、 村田製作所では、新入社員も工場のラインで働くことになった。1週間ほどの新人研修の後、福井県の山中にある工場に配属され、半年ほど、「パンチパーマの兄ちゃん」たちと、肩を並べて毎日同じ作業を繰り返した。熟練の技を持つ工場の人たちに尊敬の念も芽生え「この人たちが支えているからこそ、商品が世の中に出せるのだ」と学んだ。

工場勤務を経て、商品部に着任。パソコンのUSBの差込口などに使われているノイズ対策用のコイルの商品開発などを行ってきた。研究専門職としてのキャリアを希望していたが、上司からは研究職ではなく女性管理職としてのキャリアを勧められて、人の調整役などの仕事ばかりが増えていった。「本来目指した夢とは違う」。気持ちとのギャップが積み重なっていった。

「やらなければいけないことはわかっている。でも、自分の気持ちはどうなる」。葛藤を抱えながら管理職のキャリアにつながる仕事ばかりこなしていた4年目、急に職場で涙がとまらなくなった。翌日から、職場に行けなくなった。1年間休職、食べる意欲もなく、15キロも体重は落ちた。「死んだ方がマシなのかも」。とことん追い詰められたところで、「どうせ死ぬなら、やりたいことをやろう」と、研究の道に戻る踏ん切りがついた。楽な世界じゃないと止める先輩もいたが、「どうしても、戻りたい」と何度も訴えると、その気持ちに押され力を貸してくれた。さらに、大学時代の担当教員の助けもあり、同大の博士課程に戻ることができた。

研究グループの先輩だった小林正起さんと現在の上司 堀場弘司さんと博士取得時に、PFのBL-2で(向かって左の方が小林さん、右の方が堀場さん)

2013年、東大に在籍しながら、KEKのフォトンファクトリー(PF)に常駐し、物質どうしの境界である「界面」を原子レベルで精密に作製し、その電子やスピンの状態を見る研究を開始。電気の流れない物質どうしでもその界面ではなぜか、電気が流れる。磁石ではない物質同士でも、界面では磁力が発生することがある。「なんでこんなことが起こるの?」。研究の現場で次々と湧き上がる「なんで?」に、本来の自分の原動力を思い出した。

博士修了後、同じ研究テーマでポスドク、特別助教となり、PFでの研究は足かけ7年目。原子の並び、スピンの状態、様々な得意分野を持つ研究者に「どうやったら分かりますか?これが分かる手法はないですか?」と聞いて回る。様々な手法をフル活用して自身の「なんで?」を解明していくのが楽しい。PFは広い実験ホールにたくさんの研究者がいて「みんながリビングにいるような感じ」で好きだ。

調べると分からないことが次々と出てくる。「何が起きているのか知りたい」。とにかくその一心だ。装置のメンテナンスに追われたり、将来が不安になったりする時もある。それでも自身の「なんで?」に正直に、今日もひたすらその解明を目指す。

(聞き手 広報室)