【KEKエッセイ#56】素粒子の足跡を追う

つくばキャンパスの電子・陽電子衝突型加速器SuperKEKBは地下11メートルににある周長約3kmの巨大な実験施設ですが、その中心部はほとんど手付かずの雑木林です。ここにはさまざまな野生動物たちがひっそりと暮らしており、時おりSuperKEKBの真上を走る周回道路に飛び出して来ては、私たちを驚かせてくれます。中には普段なかなか姿を見せないけれど、雪の日などに小さな足跡を残してその存在を教えてくれる動物たちもいます。実は、SuperKEKBは素粒子の足跡を調べて宇宙の謎を探る巨大実験施設なのです。今回は素粒子の足跡についてお話ししましょう。(素粒子核物理学研究所 三原智)

つくばキャンパスで見つけた野ウサギ(撮影:三原智)

つくばキャンパスにはキジやウサギ、タヌキ、イノシシ、キツツキなど実にさまざまな動物たちが生息しています。私が、野ウサギがいることを知ったのは、ある雪が積もった日にウサギの足跡を発見したことがきっかけでした。その後、よく晴れた暖かかい日差しの中で日向ぼっこをしている野ウサギを見つけ、慌てて写真を撮りました。もしあの雪の日に足跡を見つけていなかったら、この日向ぼっこの野ウサギには気づかずに通り過ぎてしまったことでしょう。

素粒子物理学者が素粒子の反応を捉える方法もこれに似ています。素粒子の反応で出てくる粒子たちはあまりにも小さくて目では見えませんが、その「足跡」をたどるとどんな質量の粒子がどのように飛んだのか分かります。素粒子研究で使う検出器の開発は、いかに素粒子に気付かれないで足跡を残させるかがポイントです。

素粒子反応を調べるには、出てくる粒子たちがどれくらいのエネルギーでどの方向に飛んで行くかを知る必要があります。電気を帯びた電子や陽子が物質中を通過すると、少しずつエネルギーを落としていきます。その都度減ったエネルギーは物質中の電子を原子から叩き出す(電離相互作用)ことに使われます。そのままだと叩き出された電子は再び物質に吸収されますが、叩き出されたところに電圧をかけておくと、電子はプラスの電極に向かって引っ張られます。そうして集めた電子を電子回路で増幅すれば電気信号として取り出せます。そうです、素粒子反応で出てきた荷電粒子のかすかな足跡を、観測できるよう増幅してやるのです。土の上のウサギの足跡は目ではよく見えませんが、新雪の上ならしっかり見えるのと同じです。

ワイヤーチェンバーは、このようにして電気を帯びた粒子の飛跡を計測する装置です。粒子が通過するところに多数のワイヤーを張って、そこに頃合いの電圧をかけておけば、粒子が近くを通過したワイヤーにだけ電気信号が現れます。飛んでいる粒子の質量によって落とすエネルギーが異なるので、その電気信号の大きさを測れば粒子の質量が分かります。下の図はBelle II実験で得られた素粒子反応のデータをコンピューターで再構成し図式化したものです。円の中心で素粒子反応が起って、そこから飛び出した数々の粒子がワイヤーに電気信号の足跡(水色とマゼンタの小さな丸印)を残していることが分かります。粒子の飛行跡がカーブを描いているのは、図の垂直方向に強力な磁場がかけられているからです。電気をおびた粒子が飛行するのは電流が流れるのと同じことなので、フレミングの左手の法則により粒子に力が働いて曲がるのです。

Belle II実験で測定された素粒子の反応例
素粒子反応で出てくる粒子のエネルギーを調べる方法(キャラクター:©ひっぐすたん

一方、光のように電荷をもたない粒子はワイヤーチェンバーに何もあとを残さないので、計測には別な情報が必要です。通過する粒子になるべく影響を与えないよう、ワイヤーチェンバーは密度の低い材質で満たしておくのですが、その外側に密度の大きな物質でできた検出器を置いて、飛んできた粒子を全て止めて粒子の全エネルギーを電気信号に変換します。これがカロリメーター検出器です。あたかも動物をとらえる罠のような検出器で、足跡を残さずに通過してきた粒子を飛跡検出器でがっちりと受け止めて持っているエネルギー(カロリー)を測定します。図の検出器の外側にある赤いブロックがカロリメーター検出器の出力です。青色の飛跡がつながっているものが電気をおびた粒子、飛跡が何もつながっていない赤いブロックが罠に捕まった光というわけです。

この方法で出てくる粒子の大半を測定できますが、どうしても捕まらない素粒子がニュートリノです。ニュートリノは物質とほとんど相互作用せず、全くと言っていいほど足跡を残しません。しかし、こんな振る舞いをする粒子はニュートリノだけなので、エネルギーの保存則を使って計算できます。ニュートリノは足跡は残さないけれどエネルギーを持ち去って行くので、他の粒子の足跡から算出したエネルギーを足し合わせると、反応前の加速器の設定エネルギーよりも小さくなります。減った分がニュートリノのエネルギーという訳です。こうやって、足跡すら残さない幽霊粒子ニュートリノも捕まえてしまうのが素粒子実験です。この方法を応用すれば、暗黒物質が加速器で作られた時は、そのしっぽを捕まえることができるかもしれません。

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