【KEKエッセイ #49】天使と素粒子



現代物理学では素粒子は大きく2種類に分類されます。フェルミ粒子とボーズ粒子です。素粒子はそれこそ「素」なので、どれも完全に同一です。区別がつきません。このため2つの素粒子を入れ替えた時に起きる現象を詳しく観察することで素粒子を分類することができます。それがフェルミ粒子とボーズ粒子です。この分類方法は、ヨーロッパ中世の神学者たちによって「天使の性質」として議論されたことがあります。中世に議論された天使の性質と現代物理学で議論される素粒子の性質の類似性を見ると、宗教・文化の歴史が科学の発展と密接に関係しているのではないかと感じます。(素粒子原子核研究所 藤本順平)

 

中世の神学者トマス・アクィナスはその主著「神学大全」の第一部第52問題第3項で「何人もの天使が同時に同じ場所に存在することはできるのか」と問いました。彼はまず肯定的な議論を紹介します。

 

「いくつかの物体が同じ時に同じ場所に存在することはできない。何故なら物体は場所を占有するからである。ところが天使は場所を占有することがない。というのも、物体が場所を占有するのであって、空虚でない状態を作るのが物体だからである」とし、このことはアリストテレスの「自然学」第4巻の議論からも明らかだと主張しました。

 

また肯定的な説としてアウグスティヌスの説を引用し、「魂が体のいずれの部分においても存在する」と「悪霊が身体の取り憑くことがありえる」から魂と悪魔が同じ場所に存在できるとして、「天使という霊的存在同士が同じ場所にあってもよい」と述べました。

 

一方「二つの魂が同じ体に存在することはない」という観察による事実からふたりの天使が同一の場所にあることはない、という否定説も紹介しました。

 

以上の説を紹介した後トマス自身の見解として「天使が同時に存在することはない」と否定しました。その理由は「二つの原因が一つの事柄の直接の原因とはなりえないから」と述べています。

 

トマス・アクィナスは1225年に南イタリアに生まれた中世キリスト教神学者で、キリスト教神学の大全を目指した「神学大全」が主著として有名です。第1部を書き出したのが1266年で、1273年に第3部の口述を中途で止めるまで続けました。

 

神学大全では第1部の第50問題から第63問題までが天使に関する議論に当てられ、その実体、物体との関係、その占める場所、その運動、その認識、その意志、その愛等についての問いと回答があります。

 

神がその力や本質において無限であるのに対して、天使はその力と本質は有限だが、量や位置といった範疇の外にある不可分割的な存在であるとされています。その記述から得られる印象は西洋絵画に登場する巻き毛で羽を持つ神のメッセンジャーとしてのイメージからは遠く、極めて抽象的です。

 

この中世における試行錯誤の議論が現代に素粒子の性質をめぐる物理学上の議論として蘇ります。

 

素粒子は重力を感じる質量、電磁気力を感じる電荷、弱い力を感じる弱荷、強い力を感じる色荷といった性質を持ちますが、自転するという性質、スピンも重要です。スピンの大きさは、ある基本単位の半整数倍か、整数倍になっています。電子、ミュー粒子、タウ粒子、ニュートリノ、陽子、中性子、などは半整数倍の1/2という量のスピンを持ち、フェルミ粒子と呼ばれます。また、電磁気力を伝える光子や弱い力を伝えるZ粒子、W粒子、さらに原子核を構成する核力を伝えるパイ中間子は整数倍の1の量のスピンを持ち、ボーズ粒子と呼ばれます。LHC実験からヒッグス粒子もスピンがゼロの粒子であると判明したのでボーズ粒子に分類されます。

 

面白いことに2個のボーズ粒子を入れ替えると状態は変わりませんが、フェルミ粒子に入れ替えた場合にはマイナスの符号がつきます。このことは、もし2つのフェルミ粒子が同じ場所に存在したら、入れ換えた状態と打ち消し合う状態にあるということで、同じ場所に存在する確率はゼロ、つまり同じ場所には存在できないことを意味します。

 

このフェルミ粒子が同じ場所に存在できないという性質は、4次元空間上の相対論的場の量子論の帰結として導けます。反対に、2個のボーズ粒子は同じ状態で存在できます。むしろ、1個存在する時より同じ場所にさらにもう1個加わって存在する確率の方が大きいと帰結されます。

 

つまり、光などの力を伝える素粒子やヒッグス粒子はボーズ粒子で、同じ場所に複数存在でき、その光の性質を応用したのがレーザーです。一方、物質粒子である電子やクォークは同じ場所に2個存在することはできません。これは自分の指がそこにあるなら、重なって他の指が存在できないという「物質」という性質に合致します。

 

トマスの神学大全第52問題第3項の問いは「天使が素粒子であるならば、それはフェルミ粒子なのか。それともボーズ粒子なのか」と言い換えることができるのです。そしてトマス自身は「天使はフェルミ粒子である」と主張していたのです。

 

フェルミ粒子、ボーズ粒子のこうした性質は実験に裏打ちされたもので、トマスの神学的考察とは無関係です。しかし、大昔にヨーロッパ人が宗教的な見地から物質・非物質の性質に関してこのような興味を持っていたことは興味深いです。

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