
今回は、長年にわたり図書室に勤務している研究協力課研究支援員の関 かおりさんに話を聞きました。まず働き始めたきっかけを教えてください。
KEKに入ったのは1983年4月ですから、もうすぐ43年になります。KEKは1977年に創立されたばかりでまだまだ認知度が低く、「加速器が埋まっている地面がパカッと割れて中からゴジラが出て来る」といったジョークが出るほど何か訳のわからないことをやっている研究所、というイメージを持たれていました。一般公開はKEKがどういう研究を行っているかを近隣住民に理解してもらうために始まったものです。
その頃は男女雇用機会均等法が施行される前で、大卒の女性が就職するのがとてもむずかしかった時代です。実家近くのKEKで人を募集しているらしいという情報を友人のお父さんからもらって、仕事を得ました。
私は文学部に進みましたが、中学時代から天文に興味を持っていたため、理系の研究所に勤めることに対する違和感は全然ありませんでした。大学生の頃に福島県の磐梯吾妻スカイラインの駐車場で開催された「星空への招待」というイベントに参加していたこともあって、ブラックホールの話題などは理解できますし。
最初から図書室に配属されたのですか?
はい、図書室の所属部署は法人化や組織改編などで何度か変わりましたが、私は一貫して図書室勤務です。入って早々二人の職員が立て続けに産休という環境で、いろいろな業務を経験しました。最初担当したのは図書や雑誌の貸し出しと返却の作業です。今もそうですが、図書室はカードがあれば24時間出入り自由です。出勤すると業務時間外に返却されたものが箱に入っているので、その手続きをするのが朝の仕事でした。
それと他大学からもらったプレプリント(査読を通過する前の論文)や購入した図書類の目録を作成する仕事もありました。PCが普及していなかったため日本語は手書きで、英語は電動タイプライターで入力しました。その頃働いていた人たちとは今でもおつきあいが続いています。皆さん 70代なかばになりましたが、お元気なんですよ。
その後、業務内容は変わりましたか?
米国のスタンフォード線形加速器センター(現SLAC国立加速器研究所)が構築した素粒子物理学分野の検索データベースSPIRES(Stanford Physics Information Retrieval Systemの略)と提携することになり、KEK側の窓口だった計算科学センターの故三浦靖子先生のお手伝いをしました。また、図書室は年1回発行されるアニュアルレポートの事務局になっていて、その仕事もしていました。
これまでに心に残る出来事はありましたか?
TRISTAN加速器の初ビームが通った日(1987年)のことはよく覚えています。一日中オペラ「トリスタンとイゾルデ」の曲が構内放送で延々とスピーカーから流れていました。KEKにはクラシック音楽好きの職員が多く納得と言えば納得ですが、(KEKの前身である高エネルギー物理学研究所の)所長だった西川哲治先生(在任期間1977年~1989年)の発案かもしれません。「なんでこんなに暗い曲を繰り返し放送しているんだろう」と思いました。
そういうことがあったのは初耳です。他に研究者との関係で何かエピソードがあったら教えてください。
当時のKEKにはそれほど多くの職員がいるわけではなく、研究者の顔は大体わかりました。職場近くのケーキ屋さんに行った時のことです。店内にいたある研究者が「やべぇ」と言って逃げるように店を出て行ったのを見て、従業員が「どうかしたのですか?」と驚いていました。借りた図書を返却してくれないため、構内で見かける度に私が「返してください」と繰り返し頼んでいたからなのです。そういうことは結構ありました。督促むなしく返却されずに廃棄手続きをしたことも何度かあります。
その他で大変だったことはありますか?
それはまさに今ですね。SPIRESを引き継いだCERNが現在INSPIRE-HEPと名称を変更してデータベースを管理しているのですが、それとは別にSCOAP3(The Sponsoring Consortium for Open Access Publishing in Particle Physicsの略)という国際連携プロジェクトがあります。このオープンアクセス化に対する拠出金をKEKは図書館分とは別に研究者コミュニティとしても負担するよう求められています。加速する一方の円安の状況下で費用を捻出するのに四苦八苦しています。
定期的に購入している外国雑誌の高騰にも頭を抱えています。金額が昨年の3割高です。日本国内で発行される学会誌以外の雑誌や図書を極力減らすことで対応していますが、契約をしなくてはならない9月~11月は毎日為替レートとにらめっこしています。全国どこの大学図書館でも事情は同じだと思います。
天体観測以外にも趣味があったらお聞きしたいです。
高校・大学時代は漫研(漫画研究会)に属していました。高校の同級生の中には後にプロになった人が二人います。岡野玲子さん(映像クリエーター手塚 眞氏の妻で代表作は「陰陽師」)と小林じんこさん(代表作は「風呂上がりの夜空に」。2025年に逝去)です。
大学では美学美術史を専攻しました。西洋、東洋、日本の美術史を一通り学び、学芸員の資格を持っています。実習はブリヂストン美術館(現アーティゾン美術館。東京都中央区)でした。だから美術館や博物館巡りが好きですね。
義兄が茨城県近代美術館(水戸市)の設立に関わった縁で招待券をもらうことがあり、あちこち訪れています。茨城県陶芸博物館(笠間市)や岡倉天心の茨城県天心五浦美術館(北茨城市)にも行きました。この近辺で特に規模が大きいのは国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)です。扱っている内容が民俗ということで展示は古墳からCMまでと多岐に渡り、見応えがあります。娘が京都の大学に通っていた時は、京都や奈良の美術館、博物館、それに神社仏閣に通い詰めました。泉屋博古館(せんおくはくこかん)もいいですよ。
六本木の泉屋博古館には行ったことがありますが、京都が本館だったとは。
その頃はタクシーで行き先を告げても首を傾げられて、「鹿ケ谷(ししがたに)の住友本家まで」と伝えてようやく着いたことも。泉屋博古館は住友家のコレクションを保存・公開している美術館なのです。
見せていただいた御朱印帳には、東大寺、鎌倉の建長寺などの有名どころに混じって茨城県の神社仏閣もありますね。
県内にも行きます。筑波山の女体山と男体山の両方に登るのは疲れるので、下の筑波山神社で「遙拝(ようはい。遠く離れた場所から神仏や神社・寺院・御陵などを遙かに拝むこと)しますから」と言ってたくさん書いてもらったり(笑)。静(しず)神社(那珂市)を訪れてみたいです。鹿島神宮(鹿嶋市)は一度行ったことがありますが、再訪したいですね。
今後についてはどのように考えていますか?
業務内容と趣味が近くてずっと仕事にやりがいを感じていました。ですが、この4月からは勤務時間が短くなるため、ウェブサイト管理やKEK独自の図書管理システムの引き継ぎをしなくてはなりません。図書管理システム自体は情報システムの担当部署がみていますが、所蔵データの修正やベンダーとのやり取りは図書室で行っています。
この研究所の元事務系職員には農家の跡取りがいて、退職後自宅で育てた野菜の販売会を行ったりしていますよね。私も家が農家でなすやきゅうりなどを作っています。これからはもっと多くの種類の野菜を育ててみようかなと考えています。
また、読んでいない本がたまって雪崩が起きそうになっています。SF、ミステリー、新書などジャンルはさまざまです。そういう本を少しずつ読んでいきたいです。
ほぼ半世紀に近い勤務年数は、驚嘆に値します。構内放送で流れた「トリスタンとイゾルデ」のレコードは、現在史料室に保管されているとのことです。4月からは勤務時間が短縮になるそうですが、引き続きKEKを見守ってもらいたいと思います。
(聞き手:広報室 海老澤 直美)