ミュオニックヘリウム原子を使った物理学の基本定理の検証に向けた第一歩

~40年ぶりに世界記録を更新~

高エネルギー加速器研究機構
J-PARCセンター
東海国立大学機構 名古屋大学
東京大学 大学院理学系研究科

Question

ヘリウム原子の持つ2つの電子のうち1つを電子に似た素粒子であるミュオンに置き換えると、ミュオニックヘリウム原子と呼ばれる特殊な原子を生成できます。様々な周波数のマイクロ波とミュオニックヘリウム原子の反応を精密に調べると、ミュオンの質量の決定や、「CPT定理」と呼ばれる物理学の根幹をなす法則の検証ができます。しかしそのためにはこれまでの測定精度を100倍以上改善する必要があります。

Findings

J-PARC MUSE Dラインを使用した実験によって、基底状態のミュオニックヘリウム原子のエネルギー構造についての測定精度を世界記録から1.5倍更新しました。この結果は我々が、J-PARCでミュオニックヘリウム原子のエネルギー構造を測定する手法を確立したことを意味します。

Meaning

今回の手法は近年運用を開始した、Dラインの約10倍のビーム強度を持つHラインでも使用可能です。今回の結果から、Hラインを使用した実験で物理学の根幹をなす法則を検証する見通しが立ちました。

概要

ヘリウム原子の持つ2つの電子のうち1つをミュオン※1に置き換えたミュオニックヘリウム原子は、自然界に存在しない特殊な原子です。ミュオニックヘリウム原子の超微細構造※2を精密に測定することで、負の電荷を持つミュオンの質量の決定や、素粒子基礎理論の検証が可能です。ミュオニックヘリウム原子の超微細構造は1980年代にスイスのポール・シェラー研究所とアメリカのロスアラモス国立研究所でそれぞれ測定されて以降、これまで測定されていませんでした。

今回我々は、茨城県東海村にある大強度陽子加速器施設(J-PARC ※3)物質・生命科学実験施設(MLF)のミュオン科学実験施設(MUSE)Dラインを使ってミュオニックヘリウム原子の超微細構造を、現在の世界記録の1.5倍の精度で測定しました。この結果は我々がパルスミュオンを利用した高精度な測定手法を世界で初めて確立したことを意味します。この手法はDラインの約10倍のビーム強度を持つHラインでも使用可能であり、超微細構造の測定精度はビーム強度と測定時間によって向上することから、今回の成果によって測定精度をさらに100倍向上し、負の電荷を持つミュオンの質量をより正確に決定するとともに、他の実験結果と組み合わせて物理学の根幹をなす法則「CPT定理※4」を検証する見通しが立ったと言えます。

※1.ミュオン
素粒子の一種で、電子に似た性質を持つが、電子の約200倍の質量を持つ粒子。正の電荷をもつものと負の電荷を持つものの両方が存在する。私たちの身の回りに自然に存在していて、宇宙線として宇宙から地球に降り注いでいる。ただし、非常に短い時間(約2マイクロ秒)で崩壊してしまう。
電子が原子核の周りを回っているのと同様に、ミュオンも原子核の周りを回ることができる。
負電荷のミュオンが電子の代わりに原子核の周りを回っている原子は「ミュオニック原子」と呼ばれ、ミュオンが電子より重いために普通の原子と異なる特性を持つ。

※2.超微細構造
原子の周りの電子が持ちうるエネルギーは決まっているが、同じ軌道にある電子でもわずかに異なるエネルギーを持つことがある。これは電子の持つ「スピン」と原子核のもつ磁場の相互作用により生じるもので、この微細なエネルギー構造を「微細構造」と呼ぶ。微細構造をさらに詳しくみると、電子のスピンと原子核のスピンの相互作用によって生じるより細かなエネルギー構造が存在する。これを「超微細構造」と呼ぶ。超微細構造は、現在1秒を定義しているセシウム原子時計の原理にも利用されている。

※3.J-PARC
高エネルギー加速器研究機構(KEK)と日本原子力研究開発機構(JAEA)が茨城県東海村で共同運営している大型研究施設で、素粒子物理学、原子核物理学、物性物理学、化学、材料科学、生物学などの学術的な研究から産業分野への応用研究まで、広範囲の分野での世界最先端の研究が行われている。

※4.CPT定理
物質と反物質を入れ替える「C変換(荷電共役変換)」、左右を反転させる「P反転(パリティ反転)」、時間を逆に進める「T反転(時間反転)」という3つの操作を同時に行った場合、すべての物理現象は変化しないという定理。この場合、どんな粒子とその反粒子も同じ質量、同じ磁気モーメント(符号は逆)、同じ寿命を持たなければならない。

研究グループ

高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所(IMSS) ミュオン科学研究系 : Patrick Strasser講師、岩井 遼斗 特別研究員、神田 聡太郎 助教、西村 昇一郎 特別助教、下村 浩一郎 教授
名古屋大学 理学部物理学科 素粒子物性研究室(Φ研): 福村 省三(大学院生)、河村 しほり(大学院生)、北口 雅暁 准教授、清水 裕彦 教授、多田 紘規(大学院生)
東京大学 大学院理学系研究科 : 鳥居 寛之 准教授
東京大学 大学院総合文化系研究科 : 瀬尾 俊(大学院生)

研究者からひとこと

科学的進歩を達成し、刺激的で新しいフロンティアに到達するのに、優れたチームワーク以上のものはありません。

お問い合わせ先

高エネルギー加速器研究機構(KEK)広報室
Tel : 029-879-6047
e-mail : press@kek.jp

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