【KEKのひと #46】新聞記者、アフリカ、国際結婚、KEK 人生は冒険の連続 牧野佐千子(まきの・さちこ)さん

   
「それで、今どんなことされているんでしょうか~」。女性としては低音のゆったりとした問いかけを聞いた人は多いのではないか。ちょっととぼけた表情でゆったり構えながら、実はがっちり食い込んでくるインタビュアー。「KEKのひと」シリーズで、健筆をふるってきた広報室の牧野佐千子さんである。
実は12月いっぱいでKEKから新しい職場に移ることになった。で、最後に「KEKのひと」ご本人に登場願う次第。筆者は、牧野さんの元職場(読売新聞社)では(時期の重ならない)先輩にあたる、監事の北村です。

Belle II 実験グループの田中秀治さん(左)、後田裕さん(中央)と。

転勤族の娘だが、茨城時代は長い。 のびのび育ってあまり親の言うことを聞かないままに、早稲田大学入学、ワンゲル部所属。 好奇心の赴くまま、雪山、沢登りなど国内アウトドアはもちろん、インドバックパッカーもこなした日々。 「絶体絶命の死にそうな状況を経験してみたかった」ですって。 卒業後は読売新聞記者、新人として、青森支局配属に。

県住宅供給公社の巨額横領「アニータ」事件裁判、八戸の米兵による女性殺人放火事件等、新聞業界の人間なら「え、あの件扱ったの?」と色めく事件に遭遇。 支局では「事件を呼ぶ女」と言われたそうで、それってとても恵まれたデビューです。

ところが「もっと知らない世界へ」との好奇心やみがたく、新聞社をやめて今度はJICAの青年海外協力隊へ。 命じられた赴任先はアフリカ・ニジェール。 「合格者のうち、一番頑健な人間が送り込まれるところだと、あとから知りました」。 たしかに、アフリカ内陸部の同国は、国土の9割は砂漠で、最高気温50度の過酷な環境。 「親御さんが心配したのでは?」の問いには、ゆったりと「あ~、事後承諾でしたから~」との返事。 大物です。

現地でも、ほかの同僚が比較的安全な都市部の住宅を用意された中で、「農村で農民と暮らして村落開発を手助けせよ」との、ほとんどミッション・インポッシブル。 途上国支援の最前線です。 しかし、佐千子さんはめげません。 泥壁の、ドアも、窓も、電気も水道もない、ないない尽くしの村の家に暮らし。 食事はヒエの粉を練った「クルバクルバ」。 大皿に村人と一緒に手を突っ込み食す。 トイレは青空。 そんな生活も「うむ、これは今しかできない!」との発想で元気にクリア。

運命の日は来ました。 現地の日本人に会いに行った帰り、乗り合いタクシー(住民の足。ほとんどがトヨタのセコハンだそうな)が反対車線に出て他車に衝突する大事故。 本人は意識不明、車の一部が体に食い込む重体です。 ここで、一緒にいた知り合いの現地青年、ラミン君が獅子奮迅の働きを見せました。 救急車を呼んで病院に運ぶ。 ところがかの地の救急体制は、本人の支払能力を確認して初めて治療してくれるシステム。 佐千子さんが日本人でJICAの職員であることを説明し、職場に連絡を取り、たまたま巡回で居合わせた腕のいい外科医に状況を説明し、どうにか手術にこぎつけました。 あとはJICAと連絡しあって、医療用ヘリをパリの病院まで飛ばすまで、骨を折ってくれたのです。

もともとラミン君とはやはり乗り合いタクシーで知り合った仲でした。 現地の人のほとんどが、金のありそうな外国人と見るや、連絡先を教えろ、何かちょうだい、と迫ってくるのに、彼はそういうことを言わない。 むしろ彼女が覚えたての現地ザルマ語で話しかけると、彼もおぼつかないザルマ語と英語で対応してきたということで、その正体に互いに興味をもって交際が始まり、事故当時は親しい友人になっていた、ということなのです。

で、その正体はニジェールでも北に住むトゥアレグ族の出身で、同国唯一の総合国立大学アブドゥムームーニ大学で公衆衛生学を専攻、卒業後はリサーチ会社で遊牧民の感染症について調査を進めていた、という、佐千子さんのミッションにも「お役立ち」なインテリさんだったのです!

先端医療の整ったパリで文字通り「九死に一生」を得て、迎えに来たお母さんと一緒に日本に帰った佐千子さん。 その後、命の恩人にもなったラミン君からプロポーズ、「ぼくはサチコのいるところならどこでも行く!」との言葉に頷き、とうとう日本での新婚生活が始まったといいます。 当初、「気は確かなのか?」と案じたご両親も、身長189センチ、飛び切りの笑顔を見せるラミン君と会って「あら~、いいんじゃない?」となったそうで、恋の力は国境も言語の違いも軽やかにクリアしたのでした。

しかし、ここでおとなしく落ち着かないのがこの人の真骨頂。 まずは暮らしを立てなくては。 彼女、こんどはリヤカーを引いて豆腐売りを始めます。 「うん、こういうことも今しかできないな!」とその実感をかみしめながら。 同時に「アフリカは旧宗主国に対して賠償を請求できるのではないか」との発想から、その役に立つべく法科大学院に進みました。

しかし、そこはメディア人の血が騒いだのでしょう。 「まずは事実を伝えねば」と、第一子出産後に大学院をやめ、今度は地元の地域紙に記者として再就職。 ここでも「事件を呼ぶ女」ぶりは発揮され、大規模総合運動公園建設をめぐる論争が沸き上がるのを機にアグレッシブな報道を展開。 同紙はあえなく廃刊となりましたが、その後目にしたKEK広報員募集の情報に、「やっぱりメディア関連で働こう」と意を決したといいます。

「何をやっているところか、全然知りませんでした。でも、宇宙・物質・生命の謎、って楽しそうだったし、何よりBelle II測定器をはじめに見せられて、うわあ、かっこいい!と」。

以後の活躍はご存知の通り。 研究成果のメディア対応など基本ワークに加え、「KEKのひと」をスタートさせたり、作家と研究者のコラボサイエンスカフェを仕掛けたり、と、新しいアイディアで、広報の新展開に寄与しました。

今後のキャリアや、二人になった愛娘のことを考え、新春からは一部在宅勤務も可能な民間のWEB制作会社勤務となる運びです。 「KEKはおもしろかった。大学での専攻は東洋哲学で、唯識の思想とか、宇宙の果てとか、古代インド哲学と最新の宇宙論や素粒子論のつながるものも感じてます。知れば知るほどおもしろい。今後もつながりを持ち続けたいです」。

スマホの待ち受け画面には、長いまつ毛の娘たちと、保育園で英語教諭として働き、子供や保護者に絶大な人気というラミン君の笑顔。 日常語はフランス語でのやり取りです。 30代半ばですでに波乱万丈の感のある佐千子さんですが、これから先も「うん、これは今しかできない!」人生の冒険を、つぎつぎにこなしていくことでしょう。 お疲れさまでした。そしてこれからもお元気で!

(聞き手・監事・北村節子)
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