【KEKのひと #44】「順風満帆な人生」の根底には...? 後田裕(うしろだ・ゆたか)さん

   
いよいよ本格実験スタートを翌春に控えた世界最強のSuperKEKB/Belle II実験。今や26か国から、約900人の研究者が参加する巨大なBelle II実験の束ね役である「プロジェクト・マネージャー」が、KEK素粒子原子核研究所教授の後田裕さんだ。測定器高度化を実現するために、中心的役割を任され始めたのが2008年初頭、35歳のことだった。そこから10年余りの年月を経て、こぎ着けた実験開始。後田さんは「ようやくここまできた」と万感の思いで振り返る。

若手研究者に気さくに声をかける後田裕さん(左)(Belle IIのコントロールルームで)

広島県出身。戦後復興の象徴として市民とともに歩んできた「広島東洋カープ」が好き。素粒子物理学の世界に興味を持ち始めたのは高校生の頃だった。「これまでに人間ができなかったことを、自分が実現できたらおもしろい」と思う中、熱心な先生や個性的な同級生らと話をするうちに、素粒子の世界と出会った。「謎の解き甲斐がある」と、研究者になるために京都大学理学部へ進学することを決めた。

素粒子物理学の分野では、自然の法則の存在の大きさに比べれば、我々人間の世界の上下関係など小さなもの、との考え方があり、特に京都大学には、学生から教授に至るまで、「さん付け」で呼び合い、対等に議論し合う風土がある。学生時代、益川敏英さん(現・名古屋大学特別教授、素粒子宇宙起源研究機構名誉機構長)の授業を受けていた。自身も学生の時からとにかく議論好きだったという益川さんは、やはり教員になっても学生とも分け隔てなく議論し、後田さんら学生と共に飲食し、その代金を全部支払ってくれたこともある。

「この人(益川氏)の理論を、実験で正しいと証明出来たらおもしろいな」。1994年から建設が始まり、実験開始に向け準備が進められていたBelle II実験の前身、Belle実験に進むことに決めた。修士1年の末から携わったBelle実験は、1999年、26歳の時に運転を開始。2001年にはB中間子と反B中間子の対称性の破れを発見し、2008年の小林・益川両氏のノーベル物理学賞受賞を決定づけた。

Belle測定器を、さらにその50倍のデータ分析を目指すBelle II測定器にアップグレードしようという機運が高まり、35歳の時、その中心人物として白羽の矢が立てられた。Belleは設計から携われなかったが、デザイン段階から携わることができるのはおもしろそうだ。「自分のやり方でやっていいなら」と引き受けた。

以来10年余り。若いリーダーが必ずしも歓迎されないケースもあったし、設計・開発が思い通りにいかない部分もあった。管理する側の仕事が増え現場からどんどん離れていく焦燥感を感じた時期も。その時間を経ての実験開始。「思うようにいかなかったこともあるけど、実験を始められるところまで来た今があるのは、悪くない」と思っている。成果を出すのはこれからだ。

前身Belle実験を立ち上げたKEK高崎史彦氏は、後田さんがBelle IIを率いたことについて、「あのくらい生意気なのがちょうど良かったんだ」と理由を明かす。傍目からは順風満帆に見える後田氏のキャリア。自身も「(牧野さんと比べると)波瀾万丈でも何でもない。聞いても面白くないですよ。」と飄々と語るが、広島から京都時代に培われた果てなき探求心と、反骨精神のようなものが、その根底に流れているに違いない。

(聞き手 広報室・牧野佐千子)

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