【KEKエッセイ #1】「天才はおもいがけなくやってくる」

   
素粒子物理に関する、「なんでもいいエッセイを書け」とのご指示に、文系おばさんが筆をとりました。まずは、かすかにかすった大物理学者との思い出です。(監事 北村節子)

素粒子、などというものに、とんとご縁のない人生だったけれど、ここへきて突然その研究の最先端組織に触れることに。なりゆきって不思議ですね。で、本当に素粒子とニアミスもなかったのか、と思い起こしてみたら、ありました! それもあのガモフ博士のご子息と!これってすごくない?KEKにも「ガモフの家族に会った(しかも一夜の宿を提供した)」という方はそうはいないでしょう、エヘン!

写真は、スイスの山小屋。本文とは関係ありません

若いころ、山登りに凝っていて、「女性だけで海外遠征をやる」というクラブに所属。一時は気を吐いておりました。当然、山岳関係者との国際交流も盛んで、時には外国からのゲストと触れ合う機会などもあったのでした。

で、あれはまだ90年代。わたしもまだ血気盛んな時期でありましたねえ。冬の某休日、山梨に持っているぼろい山小屋に亭主と犬とまったりしておりましたところ、山関係の知人から電話で、「アメリカからヤマヤ(山仲間は自分たちを時に自嘲を込めてそう呼びます)の交流事業で来ている男がいる。いま、案内して旅行中だが、今日のスケジュールがキャンセルされて行くところがない。どうにかならんか」とSOSが入りまして。「ヤマヤなら、さむ~いぼろ小屋でもよろしい?それなら」ということで、一人の大男が案内役の和製女人とともに標高1,100mのぼろ小屋に現れたのであります。

中年ではありますが、長身。ウェーブのかかった長めで豊かな黒髪。彫の深い顔立ち。アーティストの雰囲気をたたえたなかなかのいいオトコです。「こんにちは。お名前は?」「ガモフと申します」。ん?聞いたことありますよ。たしかビッグバンの博士と同じお名前なんですね。さすがの文系おばさん(当時お姉ちゃん)もガモフ博士のことぐらいは一般教養としては知っておったのです。「ああ、あれは私の父です」。うっそぉ~!

突然の宿なしは、われらにとって賓客となりました。狭い小屋のこたつで鍋を囲んでいろいろ話しましたが、彼の物語は今も愉快に思い出せます。「今は何をしておられるの?」というもの知らずのぶしつけな質問に、「10代まではバレーダンサー」。えっ?「母がバレリーナでしたから」。まあ、博士の奥方はバレリーナだったの。素敵。たしかにご本人の長い手足も舞台映えしそう。「体を痛めて踊れなくなり、その後はまあ、発明家で、登山家でしょうか」。

いま、あらためてWiKi検索してみれば、もし同一人物なら、彼は高所登山をやる者にとっては時に命綱となる「ガモフバッグ」の発明者、イゴール・ガモフだったのですね。ガモフバッグとは、空気が薄い高山で低酸素症に陥った人間をまるごと入れてポンプで加圧し、低地と同じ気圧状態を作り出す救命装置で、当時はヒマラヤなどで使われ始めたばかりの新兵器。わたしもデナリ(旧名マッキンリー)のベースキャンプの国際医療班のテントで見せてもらったことがあります。

彼の話は次々にひろがります。「岩壁登りの際、人間はもっと効率よく登れるはずだ」とおっしゃる。用意した紙と鉛筆に描いたそのためのギアは、「上腕を上部に伸ばしてホールド(手がかり)を探す際、肘を視点に回転できるばねを肩から手首まで付けておく」「同様に、足をけって体を持ち上げる際、脚部にばねを装着する」「そうすれば、次の段階で身体を持ち上げる時、そのばねが機能して体重を持ち上げるのに負荷が少なくなる」と。私、はじめ、冗談だと思ったんですね。これって野球漫画「巨人の星」の星飛雄馬君ご愛用の「大リーグ養成ギブス」みたいじゃん! しかし彼は大まじめで、「腕を上に延ばすときは、特に重力を感じないでしょう?そこにあらかじめ『ばねを伸ばす』仕事をさせておけば、そのエネルギーが解放されるとき、あなたの体を持ち上げる助けになるはず」とおっしゃる。

次に絵に描いたのは「海底歩行探査具」。人間が水中で行動するのに、頭部のみカバーし、密閉しなくていいので、伏せたお椀状態の空間に海面上からチューブで空気を送り続ける。まあ、それってドリトル先生の海中かたつむりみた~い! あははと笑った私ですが、最近、オーストラリアを旅行した知人が言うには、グレートバリアリーフの海中を歩かせてくれるサービスがあって、その際の空気補給装置が大きなお鉢を被るような仕掛けだったそうで、聞く限りではガモフ・ジュニアの発想と似ていなくもない。

そのほか、いろんな話をして飲んで笑って、翌朝、次の目的地へと旅立っていったイゴール・ガモフどの。そういえば、Wikiのガモフバッグの項目には「考案者はイゴール・ガモフ。生理学者で登山家」とあり、また別の項目の某物理学者の語りに、「80年にポール・ラディック賞のボウルダーでのレセプションの際、イゴール・ガモフの家で彼に会った」という記述も発見。岩登りのメッカであるボウルダーに住んでいたようです。

すみません、単なるバレリーナ上がりの変な発明家ではなかったのですね。もしも、素粒子についてブルーバックスくらいは読むようになった今の私だったら、もう少し、父上の話などきちんと聞くことができたものを、と悔やまれます。ですが、あの降ってわいたような山中の一夜は、話の内容と相まって、奇妙なファンタジーのような味わいで、時折思い出してもくすり、と笑ってしまいます。

「天才は、思いがけなくやってくる」のでした。

※もしも、ガモフ博士のご家族、特にご子息についてご存知の方おられたら、北村までお知らせくださいませんか?よろしくお願いします。

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