J-PARC再始動!震災からの復旧

   

東日本大震災からおよそ1年、震災の影響により停止していたJ-PARCは1月24日から運転を再開し、人々の活気が戻ってきた。

2011年3月11日

図1 物質・生命科学実験施設の外周
建物周辺が1.5mほど沈下した。
カタカタカタ…鳴り始めた窓の音で地震に気付く。いつもよりちょっと長い地震、最初はそう思っていた。次第に大きくなった揺れが数分間続いた後、ドン!と立っていられないほどの大きな揺れに襲われ、たまらず部屋を飛び出た。
そう語るのは、物質・生命科学実験施設(MLF)で打ち合わせをしていた山田悟史KEK物構研助教。その日の朝まで、MLFには共同利用のために多数の研究者が訪れていた。非常灯を残し停電した室内で、揺れが収まるのを待って外へ出ると、地面には亀裂が走り、地盤が大きく沈下していた(図1)。図2 直線型加速器(LINAC)前
地面が沈下し、配管類が断絶。地下にある施設がアスファルトを押し上げている。
避難場所に集合し、皆の無事を確認している間も余震は続き、大地からも海からもゴゴゴゴゴ…と低い音が聞こえていた。J-PARCのある東海村では4.5mの津波を観測したが、幸いJ-PARCへの被害はなかった。亀裂、波打つ道路(図2)を進みながら、なんとか避難した。その後、J-PARCは全域にわたる停電と断水により施設を閉鎖しなければならなかった。

加速器の被害と復旧

地震から一週間後、初めてJ-PARCの加速器トンネル内に入った小関忠KEK加速器研究施設教授。真っ暗な中を懐中電灯と、万が一を考え酸素濃度計を手にトンネルの中を行く。J-PARCは330mの直線型加速器(LINAC)、そこから入射される一周350mの3GeVシンクロトロン(RCS)、1.6kmの50GeVシンクロトロン(MR)の3つの大きな加速器から成る施設。図3 地下水が溢れ出たLINAC下トンネル内トンネルに入ってすぐ、もの凄い湿気に包まれた。加速器トンネル内にできたコンクリートの細い亀裂から溢れ出した地下水だった(図3)。地下水が豊富なエリアに建設されたJ-PARCは、建設当時から水との戦いだったが、今回コンクリートの亀裂から浸み出した地下水は強アルカリ性になっていたため、排水する際には中和させる必要があった。しかし震災直後は中和するための薬品も不足し、また薬品を輸送する交通手段も限られていたため、排水作業も困難を極めた。しかし、茨城大学や筑波大学を始め、多くの研究機関の協力により、薬品を入手することができ、何とか中和・排水することができた。

図4 50GeVメインリング(MR)内
壁・床・天井の至るところに走る亀裂から噴水のように水が湧き出た。MR内には偏向電磁石(青)が96台、4極電磁石(黄)が216台並ぶ。
2週間後、加速器トンネル内の電気が一部復旧し、初めてMRのトンネル内を一周全て点検できた。この時も水は出続け、加速器の要である電磁石には、滝のように水が降り注いでいた。しかし出来ることは応急処置として、ビニールシートをかける程度(図4)。電磁石の鉄心が錆びてしまう恐れもあり、「その時は復旧の見通しは全く立たなかった。」と小関教授は当時の心境を語る。震災直後、最も心配したのは加速器、特にRCSの真空の破れだったという。真空容器の多くは特注品のため、もし壊れていたら再製作に時間を要し、長期の運転停止は免れないからだ。

3月末、MRトンネル内の止水工事が始まり、次いで除湿のための空調設備の復旧作業も始まった。これまで目視でしか分からなかった電磁石の様子を把握するため、レーザー光線を利用して精密に位置を測定するレーザートラッカーを利用して測量を行なった。総数400台を越える全ての測量には5月末までを要した。そして明らかになったのは、最大20mmものずれだった(図5、6)。「腹をくくってやるしかないと思った。」最も重たい電磁石は1台32トン、これらを精緻に並べ直す作業は容易ではない。しかし実験のためには、電磁石のアライメントが重要であることを熟知している小関教授は決断した。

図5 LINACの鉛直方向の変位
イオン源から50m地点で約40mmの沈下と230m地点で20mmの沈下があった。50m地点の沈下は早期の復旧が困難なため、現在はV字型に再設計して運転している。

図6 MRの鉛直方向の変位(左)と水平方向の変位(右)
鉛直方向では、10mm程度の高低差が生じ、水平方向では±20mm程度の歪みが生じた。

図7 MR内、アライメント作業の様子 測定した結果を元に作業計画を立て、1台1台電磁石を持ち上げ、位置を調整する(図7)。8月24日に始まったこの作業が終わったのは11月末。順次、電磁石に通電、コイル同士がショートしていないか、冷却水設備に水漏れが起きていないかなどの確認を行った。1.6kmのMRに一斉に通電できたのはビーム試験再開の直前、2011年は師走になっていた。

実験施設の被害と復旧

並行して物質・生命科学実験施設、ニュートリノ実験施設、ハドロン実験施設ではビームを受け入れる準備が進められていた。これらの施設は、深いところでは地下50mの岩盤に到達するまで杭を打つ強固な基礎工事をしていたため、建物の壁や窓ガラスにひびが入ったものの、機器が倒壊するなどの致命的な被害は出なかった。しかし、建物周辺の地盤沈下は著しく、人の背丈ほど沈下した場所もあった。そのため建物周囲に埋設されている電源ケーブルや、給排水パイプなどは各所で断絶し、増設した建物の継ぎ目では、建物間のずれを吸収するように大きな段差や破損が生じた。
個々の建物内では、放射線を遮蔽するための一個4トンもあるコンクリートブロックが、大きな振動で固定ボルトを引きちぎってずれていた。ブロック内部には精密機械のかたまり、実験装置が並ぶ。復旧したクレーンを利用してブロックを移動し、中にある装置の被害状況を確認・修復し、再びブロックを積み直さなければビーム受け入れはできない。移動させるためのクレーンの数には限りがあり、全てのビームラインを修復するには膨大な時間を要した(図8)。

図8 MLF実験ホール内で遮蔽体を空け、中を確認している様子

図9  遮蔽体の構築が無事完了したハドロン実験ホール

里 嘉典(よしのり)KEK素核研准教授は当時を振り返る。ハドロン実験施設では、本来2011年4月から約1ヶ月間実験を行う予定だった。実験に向けて組み立ててきたものがほとんど全て崩れてしまい、また一から積み上げるという状態になってしまった(図9)。

運転再開

そして、12月22日。いよいよ加速器に震災後初めてビームを通す日がやってきた。電磁石のアライメントを確実に行ってきただけに、ビームはすぐに周回した。加速はなかなかできなかったものの、その日のうちに定格運転ができた。

「我々よりも大きな被害にも関わらず12月までにビーム復旧を果たした加速器グループの皆様には感謝し、敬意を表したい。」ニュートリノ実験施設でT2K実験に携わる大山雄一KEK素核研研究機関講師は加速器グループを称える。一方、里 准教授も喜びを露わにした。「ほぼ一年間、グループ一丸となって復旧にあたり、無事に再開出来て本当に良かった。ビーム強度も元に戻るどころか、地震前よりも良くなるなど加速器グループがしっかりやってくれている。我々もしっかり成果を出していきたい。」

年が明けた1月24日、J-PARCは再び実験施設として世界中に門戸が開かれた。大きな被害状況を目の当たりにして、震災直後には誰もが難しいと思っていた施設の復旧作業を、驚くほどの短期間で成し遂げ、運転再開に漕ぎ着けた。

図10 復旧後最初に捉えられたニュートリノ反応 再開後さっそく嬉しい知らせがあった。1月末の数日のビーム期間、幸いにして復旧後最初のニュートリノ反応をスーパーカミオカンデで捉えることができたのだ(図10)。「他の実験との競争を考えるとここ1~2年が勝負。地震による遅れを取り戻し出来るだけ早く多くのデータを取りたい。」大山 素核研研究機関講師はこう意気込みを述べる。

今回の復旧は震災当初には考えられないほどの早さであるが、周辺設備は最低限の復旧にとどまっており、スケジュールの関係上、まだ復旧できていない建物や施設は今後順次修復を進め、完全復旧を目指していく。

世界中の研究機関から協力・支援いただき、実験を続けられたことは、研究者たちに活力を与えた。J-PARCから、再開に続く明るいニュースが届くのを待ちたい。

関連サイト

J-PARC 大強度陽子加速器施設

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