<ドキ時(ドキ)!サイエンス>(24)草原はタイムカプセル

2024年4月29日 07時43分
 最先端の基礎科学研究に取り組む高エネルギー加速器研究機構(KEK、茨城県つくば市)の敷地内に、ススキの群生地がある。実はここ、日本の伝統建築である茅葺(かやぶ)き屋根用の貴重な茅場として、文化庁の「ふるさと文化財の森」(約3ヘクタール)に設定されている。
 茅はススキやヨシなど屋根葺きに使われる草の総称だ。県内では、霞ケ浦に面した稲敷市の妙岐ノ鼻に広がるヨシ原(約50ヘクタール)も茅場として有名だ。
 日本のように雨が多く温暖な土地では、草原を放っておくと森林になる。その日本で草原が維持されてきたのは、洪水など森林化を防ぐ自然のかく乱に加え、草刈りや火入れなど人間の営みがあったからだ。

田中健太准教授

 「草原は家畜の飼料や農作物の肥料、屋根材などの供給源で、現代の石油に匹敵する資源だった」。筑波大山岳科学センター菅平高原実験所(長野県上田市)の田中健太准教授(生態学)は、そう指摘する。
 だが、その草原は減っている。明治時代には日本の面積の1~3割を草原が占めたが、機械化や化学肥料の登場、茅葺き建物の減少などで需要が減り、現在では1%に満たないとされる。
 だとしても、本来の自然である森に還(かえ)るだけではないか。そう思われがちだが、日本の絶滅危惧種の多くは草原にいる。
 例えば多年草のカドハリイは、全国でも妙岐ノ鼻にしか生息していない。田中さんの調査では、環境省のレッドリスト掲載種のうち、生息地が分かった維管束植物1741種とチョウ類92種の3~4割が草原性だった。

ため池の土手で見つかった希少植物の一つのタカサゴソウ=長野県上田市で(筑波大の田中健太准教授提供)

 

希少植物のキキョウ、イヌハギ(長円形の3枚の葉)など=長野県上田市で(筑波大の田中健太准教授提供)

 また、長野県のスキー場に広がる草原と森林の植生を調べたところ、300年以上前から続く「古草原」の方が、50~70年前に造成された「新草原」より希少植物が多かった。さらに、古草原の方が草原特有の植物が多いことも分かった。
 田中さんは「種子が運ばれにくい植物や、寿命は長いが繁殖速度が遅い植物は、草原の維持管理が長く続き、昔からの土壌が守られていないと残らない」と説明する。古い草原は植物の「タイムカプセル」なのだ。
 こうした草原性の絶滅危惧種が多い場所の一つが、農業用ため池の土手(堤体)だ。田中研究室の大学院生だった滝沢一水さん(現環境コンサルティング会社勤務)が上田市のため池約70カ所を調べたところ、環境省や各都道府県が絶滅危惧種に指定する植物が200種以上見つかった。それらの土手は、長いものでは400年以上にわたって人の手が入ることで、長く草原が維持されていた。
 農業用ため池は今、全国的に防災工事が進む。2011年の東日本大震災や18年の西日本豪雨で、ため池決壊が相次いだ。これを受けて農業用ため池の防災工事などを促進する特別措置法(ため池防災特措法)が20年に制定・施行され、都道府県知事は防災工事の推進計画を定めることになったからだ。
 これに対し、田中さんが所属する日本生態学会は3月、土手の植生に配慮した工事をするよう国や各都道府県に要望した。農林水産省のため池防災工事の指針は「環境との調和」を規定してはいるが、土手の保全は盛り込まれておらず、「掘削によって希少な動植物の生息地が失われる可能性が高い」という。
 要望書では▽動植物の生息状況を調べて施工計画を立てる▽土手の掘削以外の工法も検討する▽掘削する場合は植生の保全帯をできる限り広く設け、掘削前の表土を工事後に戻す-などの対応を求めた。田中さんは「上田市のため池工事ではこうした対応の実践例もある。数百年かけて草の根が伸びた状態のため池の土手は、土壌の浸食や崩壊を防ぐ機能も期待できる」と話す。
 危険なため池の防災対策は当然だが、地元住民の理解を得つつ、貴重な自然を後世に伝えることも行政の役割だろう。(筑波大教授、サイエンスコミュニケーター・鴨志田公男)=毎月最終月曜日掲載

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