【KEKエッセイ #54】 ピン止め

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筆者前書き
1986年に発見された高温超伝導は、これまで稀少資源であるヘリウムを液化して-269度まで冷やすことが必須だった超伝導を、一気に空気の主成分である窒素を液化して-200度程度まで冷やせば実現できるようにする画期的な発見でした。応用に向けて大きな期待をもたれ開発競争が進みましたが、超伝導電磁石への応用には「ピン止め」の不足という問題がありました。以下の寓話はこの「ピン止め」と高温超伝導の関係を擬人化して説明しています。話をわかりやすくするために科学的な正確性に欠ける部分はありますが、そこは目を瞑って楽しんでいただければと思います。(共通基盤研究施設 荻津透)

俺の名は、日住善斗。超伝導伝送公社の磁束ピン止め課第1ピン係の係長だ。俺たちの公社は、超伝導伝送線と呼ばれる通りの上で超伝導電流を担うクーパーペアーと呼ばれる2人組たちが円滑に通りを歩けるようにすることだ。

クーパーペアーは、電子と呼ばれる奴らが2人組になることによって作られている。この電子という奴らは全くもって身勝手な奴らで一人一人は全くバラバラに好き勝手に動きたがる。一人として同じ動きをする奴がいない。この状態では、電子たちは通りのあちこちでふらふらと好き勝手に動いてあっちらこちらの障害物にぶつかって真っ直ぐ目的地に向かってはくれない。仕方がないので目的地の向かって進むように常に電圧と呼ばれる圧をかけていないといけないが、これをするとますます通りで暴れて通りが荒れ温度が上がる。そうするとますます電子たちは、目的地に向かって進まなくなりますます電圧を上げなければならないという悪循環に陥る。こんな状態を俺たちは常伝導と呼んでいる。

こんな電子達だが、通りの温度を適度に下げてやると自分と逆向きの動きをしている電子のことを突然意識し始めてクーパーペアーと呼ばれる2人組を作る。こうなると電子の一人が障害物にぶつかって向きを変えると、もう一人がそれと全く逆の動きをするようになる。つまり一人目が起こした動きの変化をもう一人が打ち消すように動き、2人組で見るとその合計の動きは何も変わらなかったかのようになる。しかも逆向きの動きをしている電子同士が2人組を作るので全ての2人組の動きは全て揃うことになる。この状態になると全てのクーパーペアーたちはまるで何の障害も受けてないかのようにするすると流れるように整然と移動していく。この状態を俺たちは超伝導状態と呼ぶ。

電子が大勢で一斉に移動しだすとそこには磁場と呼ばれるものが生まれる。この磁場は電子が通る通りに磁束と呼ばれる束になって入ってくるが電子の移動はローレンツ力と呼ばれる力をこの磁束にかけ磁束が通りの中を移動していくことになる。この磁束の移動が曲者でクーパーペアー達の流れを邪魔し円滑に動くことを妨げる。そこで我々磁束ピン止め課の出番だ。ピン止め課の仕事は、一言で言えば穴掘りだ。伝送線通りに適当な感覚で穴を掘る。そうすると磁束の奴らは、その穴にはまって動かなくなる。クーパーペアー達は適当に穴を避けていくので磁束に邪魔されることはなくなる。こうすることで通りの中に磁束とクーパーペアーを共存させながらクーパーペアーたちが超伝導を保ったまま円滑に動いていけるようにする。

俺たち第1ピン係は、磁束ピン止め課発足の時に創設された係で30年間常に課の第1線を走ってきたエリート職人部隊だ。係にいる職人たちは、スコップ一本で完璧な穴を掘ることを誇りとし、常にその技術研鑽を怠らない優秀な職人集団で、今では第6係まである課の中でも指導的な立場にいる。

そうやって第1線で懸命に働いてきた俺たちだったが最近どうも妙な噂を聞くようになった。最近公社に高温超伝導と呼ばれる新しい通りが開発されそこの通りに専任の新しい係が創設されたという噂だ。その係は第7ピン係と呼ばれ、妙な機械を使うチンピラ風情な連中で構成されているという。実際その係の係長は金髪の坊主頭でピアスなんかしたチャラい男で、どうにもいけすかないやつだった。こんなやつの係が新しい通りのピン止めを任されるのは俺には我慢のならんことだったし俺の係の職人たちも同意見だった。そこで俺は課長に掛け合って俺の係でピン止めを試させてもらうことにした。

「これが新しい通りですか?妙に温度高いですね」
職人長の留さんが俺に話しかけてきた。
「この温度でもクーパーペアーができる仕掛けがあるらしい」
俺は、答えた。
「とりあえず、いつも通りピン止め穴を掘ろう」
俺は、職人たちに号令をかけた。職人たちは一斉に穴を掘り瞬く間に通りには整然と
ピン留め穴が並ぶ。
「来るぞ!」
穴の開いた通りにクーパーペアーたちが流れてくる。それに伴って磁束が生じそいつらが穴にはまっていく。
「おかしい」
留さんが呟く。磁束が穴に止まっていない。どんどん飛び出して動いてしまう。
「こいつら跳ねるぞ!」
職人の一人が叫んだ。
「温度が高いからだ、磁束の動きが激しい!」
俺は叫んだ。
「穴を増やすんだ!」
留さんが叫ぶ。職人たちは一斉に穴を増やしだす。
「磁束が止まらない!」
職人が悲鳴を上げる。
「もっと頑張って掘るんだ!」
留さんが叫ぶ。
「止まってきたぞ!」
別の職人が叫ぶ。
「おかしい」
俺は何か異常な状況に気づく。
「クーパーペアーがいない」
俺は致命的なことに気づく。穴を掘り過ぎてクーパーペアーの通り道がなくなってしまっている。これではもう超伝導ではない。電子が流れなければ磁束も動かない。
「あーあ。おっさんたち何してくれちゃっているの」
若い声が侮辱するように聞こえてくる。金髪ピアスが後ろにチンピラたちを引き連れて立っている。
「ロートルは引っ込んで俺たちに任せてくれます?」
金髪が俺に向かっていう。
「あんたたち、時代遅れなんだよ」
別のチンピラが面倒臭そうに俺たちに向かっていう。
茫然と見送る俺たちを尻目に奴らは俺たちの掘った穴をあっという間に埋めると妙な機械を地べたに設置する。機械はあっという間に俺たちには絶対に掘れない深さの穴を開ける。奴らは、機械を使って次から次へと深い穴を掘る。適度に穴を掘るとクーパーペアーを招き入れる。
「さあ、どうぞ!」
チンピラが芝居がかった所作で言った。クーパーペアーたちが通りに入ってくる、同時に磁束も通りに生じ穴に落ちていく。今度は穴は十分に深く磁束たちはどんなに飛び跳ねても穴から出てこれない。ピン止めできたのだ。
「後で、課長が話があるそうですよ。早期退職の話かな?」
金髪ピアスが茫然としている俺に向かってウィンクしながら言った。俺は憮然としてその場を去った。

その晩俺は、留さんと一緒に屋台で一杯やっていた。妙に冷え込む晩だ。
「寒いっすね。こんだけ寒ければ高温超伝導なんか要らなそうなのに」
留さんが苦笑いしながら呟く。
「そうだな」
俺は所在なさげに答える。
「私は、早期退職することにしました」
留さんが言った。
「新しい機械を覚える気にならんし、何よりあんな奴らとは一緒にやれんですよ」
留さんが呟いた。
「そうだな」
俺は、答えた。
「30年間、懸命に働いて技術磨いてきたんですけどね。何を間違えたのかな」
留さんが愚痴る。
「そうだな」
俺は、それだけ答えると、黙り込んだ。夜の帳の静寂がふたりを包み込んでいった。

筆者後書き
いかがだったでしょうか?「ピン止め」は物語の中にあるように磁場中で超伝導電流を損失なく流すためには必須の技術です。ピン止めは、超伝導材料中に存在する歪み、不純物、結晶粒界などにできる超伝導の弱い部分が常伝導に転移し、そこに磁束が落ち込んで動かなくなることによって起きる現象です。従来の低温超伝導材料では、製造工程で超伝導材料に自然にできる歪みや結晶粒界がピン止めの主な要因でした。これらに対して常伝導の芽となる不純物を積極的に超伝導材料に導入することでピン止めを生じさせる技術が開発され、従来型の自然なピン止めに対して、人工ピンと呼ばれました。寓話の中では自然なピンを職人がスコップで開ける浅い穴に例え、人工ピンを機械でチンピラが掘る深い穴で例えました。この人工ピンの技術の進化により高温超伝導でも高磁場で大電流が損失なしに流せる線ができるようになりましたが、非常に高価なため実際には応用が進んでいません。一方従来型のNbTi超伝導線では、MRI応用を中心に超伝導線や超伝導電磁石のコモディティー化が進み、より安く作るという方向に技術要求が向いてしまっています。そのため日本を中心に積み上げられてきた非常に高度な技術は逆に生き残りに四苦八苦している部分もあります。

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