分子性固体(EDO-TTF)2PF6の光誘起相転移のメカニズムを理論によって解明

2013年03月12日 プレスリリース

 〜光が当たった物質の変化がスパコンによって計算可能に〜

平成25年3月12日

報道関係者各位

大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構




本研究成果のポイント
分子性固体※1中の光誘起相転移※2を扱う新しい理論的枠組みを提唱。
○分子性固体(EDO-TTF)2PF6※3の光誘起相転移のメカニズムを解明。
○本手法は他の様々な物質にも適用可能で、固体の光誘起相転移の解明に期待。


【概 要】

高エネルギー加速器研究機構(以下「KEK」という)物質構造科学研究所(以下「物構研」という) 岩野薫(いわの かおる)研究機関講師及び産業技術総合研究所(以下「産総研」という)ナノシステム研究部門 下位幸弘(しもい ゆきひろ)上級主任研究員の研究グループは、近年注目を集めている分子性固体の光誘起相転移を理論的に扱うための新しい手法「自己無撞着環境場法(じこむどうちゃくかんきょうばほう)」を提唱した。そしてその手法を用いることにより、光によって絶縁体から金属状態へ変化する分子性固体(EDO-TTF)2PF6の光誘起相転移メカニズムを理論的に解明した。

本手法は分子性固体を含む様々な物質に適用可能で、今後、時間分解X線回折実験※4などと組み合わせることで固体の光誘起相転移の解明への貢献が期待される。

本成果は、米国物理学会誌Physical Review Letters 2013年3月15日号、オンライン版2013年3月11日号(現地時間)に掲載予定である。

【背 景】

有機物で構成される分子性固体は、軽量かつ柔軟といった特徴を持つフレキシブルなデバイスへの応用が可能な物質として、近年注目を集めている。様々な機能を発現する分子性固体は、比較的大きな分子から構成されることが多い。そのため、分子構造自体の変形や分子同士の相対的位置関係など、多様な変形が可能であり、光や電場、磁場などの外部刺激を与えた場合、物質の性質に大きな変化を起こすことがある。特に、光の照射によって性質の変わる光誘起相転移は、熱や電場、磁場に比べて応答が早く、局所的な反応を起こすことができるため、応用が期待されている。

本研究で用いた分子性固体(EDO-TTF)2PF6は、光誘起相転移を示す物質の一種で、光照射前は電荷の占める場所が凍結して電気が流れない状態(絶縁体、図1青枠部分)であるが、100ピコ秒(ピコは1兆分の1)程度という極めて短時間光を当てると、電荷の場所が融解して一時的に電気が流れる状態(金属状態、図1赤枠部分)となることが実験によって確かめられている。(EDO-TTF)2PF6の光誘起相転移現象は実験的に確認されているものの、この現象を引き起こす機構に関しては、はっきりとは分かっていなかった。それは、このような固体全体の変化を、実際の物質の構造や光励起による多様な変形の可能性を取り入れて計算するのが非常に難しいため、これまで理論的な研究がほとんど行われてこなかったからである。従来の計算方法では、構造の周期性を仮定し、ある限られた狭い空間内で計算しているが、今回のような光誘起変化の場合は周期性が破れるため、うまく適用できず、新たな計算方法が必要とされていた。

【研究内容と成果】

新しい理論計算の枠組み
今回、KEK物構研の岩野薫と産総研の下位幸弘は、上記の困難を回避する新しい理論計算の枠組みの開発に成功した。光誘起変化ではごく小さい部分から局所的に変化が起こることに注目し、この枠組みの中で、図1中央に示すような比較的小さな分子の集まり(分子クラスター)を用意した。しかし、この分子クラスターは何もない空間に置いた場合、固体の一部に組み入れられた時の状態と異なり、クラスターとして安定に存在することさえできない。そこで、このようなクラスターを固体の中にいると「思い込ませる」ように周りを「自己無撞着環境場」で包むことを考えた(図2)。この自己無撞着環境場は、固体中でクラスターの周りに存在する分子が与える影響のことで、具体的には、分子上の各原子がつくる静電相互作用※5ファンデルワールス相互作用※6を取り入れている。特に、静電相互作用を取り入れて計算することによって、周囲の分子上の原子の価数をクラスター内の計算で求めた原子の価数と一致させている。このようにして用意したクラスターの性質は比較的容易に計算で求められるとともに、(EDO-TTF)2PF6の固体で実際に観測されている以下のような性質を計算で再現することができる。

(1)光励起前の絶縁体状態
(2)観測されている絶縁体状態の光吸収スペクトル

また、今回、自己無撞着環境場としてファンデルワールス相互作用を取り入れることにより、次の点も再現できることが明らかになった。

(3)振動スペクトル※7

これは、実験で観測されている構造をほぼ維持した安定な構造が計算でも得られたことを示すものである。

光誘起相転移の初期過程を捉える事に成功
この理論的枠組みを用い、光励起後のクラスターの変化を調べた。図1左に示した図が、今回の研究で得られた主要な結果である。図1のグラフが示す曲面は、仮定した構造変化に対して第2電荷移動状態(CT2状態と略記)と呼ばれる状態のエネルギーがどのように変化するかを示す断熱ポテンシャルエネルギー面※8である。オレンジ色の矢印は、光により絶縁体状態からCT2状態に励起されることを表している。CT2状態に励起されると、赤矢印で示す経路をたどって断熱ポテンシャルエネルギー面の底に到達する。すなわち、この断熱ポテンシャルエネルギー面は、光励起前の安定状態から、一種の不安定性な状態を経て、金属状態へ向かうクラスターの一連の構造変化を理論的に示している。なお、この断熱ポテンシャルエネルギー面で用いた2つの座標dとsは、(EDO-TTF)2PF6の絶縁体-金属相転移に特徴的な変形で、それぞれ分子間距離の変化及び分子内変形を表している(図3)。今回の研究で、特に分子間距離の変化が重要であることが詳しい解析から分かった。また、KEKのスパコンを用いることで、特定の変形を仮定せず、自由に変形させる計算が可能になり、金属状態の構造へ向かって変わっていくことが確かめられた。

以上のことから、光励起後の構造変化の初期の部分を理論的に記述できるようになった。さらに、詳しい解析によって、結合軌道※9から反結合軌道※10への電子遷移が構造変化の引き金となっていることも明らかになった。




論文名:Revealing the Photorelaxation Mechanism in a Molecular Solid Using Density-Functional Theory(密度汎関数法による分子性固体中の光緩和メカニズムの理論的解明)
雑誌名: Physical Review Letters
著者: K. Iwano and Y. Shimoi


【本研究の意義、今後への展望】

今回新たに開発した手法は、本物質だけに限らず、分子性固体を含めたほかの様々な物質にも適用できると考えられ、今後の理論研究の広がりにも期待が持てる。今後は、理論と実験のより密接な協力による物質の光励起後のダイナミックスの全貌解明が期待され、KEKフォトンファクリーのパルスX線(パルス幅100ピコ秒)、さらには次世代放射光源のエネルギー回収型ライナック(ERL)を利用し、時間分解で構造変化を明らかにできると期待される。

本成果は科学研究費補助金基盤研究(C)研究課題名「第一原理的固体光物性の提唱:分子性結晶の特徴づけとその光誘起相転移」研究代表者:下位幸弘(産業技術総合研究所)、研究分担者:岩野薫(高エネルギー加速器研究機構)によって得られたものである。

【お問い合わせ】

大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構 広報室
TEL: 029-879-6047
FAX: 029-879-6049
E-mail: press@kek.jp

【用語解説】

※1 分子性固体
有機分子が規則的に並んで結晶化した物質。

※2 光誘起相転移
光によって引き起こされる物質の構造や性質の変化のうち、特に変化が巨視的に、すなわち、空間的に大きな広がりを持って起こる場合を指す。光の強度や位相の制御が容易なため、生じる物質内の変化を詳細に調べることが可能である。

※3 (EDO-TTF)2PF6
有機光伝導を目指した研究の中で合成された物質であり、EDO-TTF分子が1次元的構造をとって積層している。高温では電子が動き回る金属状態、低温では電子が動かない凍結状態(絶縁体)を示すことが知られていた。それと同様の絶縁体-金属状態の相転移が光によっても起こることから、近年再び注目されている。

※4 時間分解X線回折実験
X線を結晶などに照射した際に得られる回折像から原子・分子の構造を決める実験をX線回折実験という。高速で変化する現象をハイスピードカメラのように捉えることを時間分解といい、物質の構造の時間的変化をX線回折によって測定する実験を時間分解X線回折実験という。KEKフォトンファクトリーのPF-ARでは、X線パルス幅が100ピコ秒であり、これをシャッタースピードとして物質の変化を観察できる。

※5 静電相互作用
正電荷と負電荷の間に働く引力相互作用。あるいは同種の電荷の間に働く斥力相互作用。

※6 ファンデルワールス相互作用
中性の原子間や分子間に働く相互作用であり、静電相互作用と比べて弱く、より近距離で働く。

※7 振動スペクトル
物質を構成する原子や分子の振動の様子を、光を当てて反射、透過、散乱された光の振動数を分光して得られる振動数の関数として表した強度分布。本研究と特に関連している振動スペクトルは、赤外吸収スペクトルとラマン散乱スペクトルである。

※8 断熱ポテンシャルエネルギー面
原子座標を固定した上で量子力学的に計算して得られた各電子励起状態のエネルギーを原子座標の関数として表したもの。一般に原子座標は多数個の変数からなるので仮想的な曲面となるが、特定の変形に沿った状況を考えると、変形が1種類なら曲線、2種類なら通常の曲面となる。

※9、※10 結合軌道/反結合軌道
原子や分子同士が結合する時、電子を一つずつ出し合い、互いの電子軌道を重ねることで、結合を形成する。この時、結合軌道・反結合軌道の二つの軌道が作られる。
結合軌道は、エネルギーが相対的に低く安定しており、原子や分子同士を結合させようとする軌道。
反結合軌道は、エネルギーが相対的に高く、原子や分子同士の結合を壊す(開裂させる)ように働く軌道。

【参考図】

図1:理論的に求められた(EDO-TTF)2PF6の光変化の様子。グラフ中に示す曲面がCT2状態に対応する断熱ポテンシャルエネルギー面である。オレンジ色の矢印で示した出発点(絶縁体状態)で光励起により作り出されたCT2状態が、赤矢印に沿って、金属状態に向かうという構造変化が起きることを示唆している。絶縁体状態、金属状態の構造とEDO-TTFの分子構造も図に示す。計算手法については図2を、断熱ポテンシャルエネルギー面の2つの座標、dとsについては図3を参照。

図2:本研究で開発した理論的な枠組み「自己無撞着環境場」の概念図。この例では4量体(EDO-TTF 4分子)が量子力学的に計算する分子クラスターである。その周りの灰色の分子群が自己無撞着環境場であり、分子クラスターに静電相互作用やファンデルワールス力として影響を及ぼす(青い矢印)。赤い矢印は、分子クラスターに対する計算により求めた各原子価数を周りにコピーすることを意味する。実際の計算では、EDO-TTF 12分子からなる分子クラスターに対して計算を行った。

図3:図2で示した断熱ポテンシャルエネルギー面で用いた2つの変形。d座標(左)はEDO-TTF4分子のうち、中央2分子間の距離を広げる変形。s座標(右)は、分子自身の形を変化させる変形。丸の付いた棒はEDO-TTF分子を模式的に表している。(※)図3について改訂いたしました。(2013年3月15日)

関連サイト

産業技術総合研究所 ナノシステム研究部門
高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所(IMSS)
放射光科学研究施設フォトンファクトリー
フォトンファクトリー 時間分解X線回折実験ステーション
ERL計画推進室
KEKスーパーコンピューターシステム
Physical Review Letters

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