世界初、ポジトロニウム負イオンの光脱離に成功

2011年04月07日 プレスリリース

物質の表面分析や基礎研究のための新しい技術 エネルギー可変ポジトロニウムビームの生成が可能に

2011年4月7日
東京理科大学 科学技術交流センター(承認TLO)
高エネルギー加速器研究機構

東京理科大学大学院 理学研究科物理学専攻 長嶋 泰之教授が代表を務める、東京理科大学、高エネルギー加速器研究機構、宮崎大学、東京大学の研究グループは、陽電子※11個と電子2個が束縛し合っているポジトロニウム負イオン※2にレーザーを照射し、電子と陽電子が束縛しあったままの状態であるポジトロニウム※3と電子1個に分離することに、世界で初めて成功しました。この手法を利用すれば、任意のエネルギーをもつエネルギー可変ポジトロニウムビームを超高真空中で生成することが可能になります。ポジトロニウムビームを使えば、電荷が無い特徴を生かして絶縁体表面の分析やポジトロニウム自身の性質の解明への道が拓けます。

1.背景

通常は、世の中でもっとも軽い原子は水素原子であると考えられていますが、電子と電子の反粒子である陽電子が束縛しあった、「ポジトロニウム」と呼ばれる、さらに軽い「原子」が形成されることもあります。ポジトロニウムの質量は、水素原子の900分の1程度しかありません。生成されてもいつまでも安定に存在するわけではなく、142ナノ秒(ナノは10億分の1)あるいは0.125ナノ秒の寿命で陽電子と電子が粒子・反粒子対消滅を起こしてγ線になる、「自己消滅」と呼ばれる現象を起こします。これらの寿命は人間の感覚では極めて短いものですが、その間にポジトロニウムは原子として様々な振る舞いをします。

ポジトロニウムは、さらにもう1個の電子と束縛してポジトロニウム負イオンを作ることもあります。ポジトロニウム負イオンは質量が全く等しい3個の粒子からなる珍しい束縛状態(複合粒子)です。このため、その存在が1946年に予言されて以来、数多くの理論的研究が行われてきました。1981年にA.ミルズ(当時ベル研究所)が存在を実験的に確認しましたが、そのような束縛状態はポジトロニウム負イオン以外には実現されていません。ミルズの実験以来30年間、理論的研究はさらに進みましたが、実験はほとんど行なわれていませんでした。これは、ポジトロニウム負イオン自体を効率よく作る方法がなかったからです。ポジトロニウム負イオンの研究を続けてきた東京理科大学の長嶋泰之教授のグループは2008年、ナトリウムを蒸着したタングステンターゲットに陽電子ビームを入射することにより、ポジトロニウム負イオンの大量生成に成功しました。

2.手法

ポジトロニウム負イオンの寿命は0.479ナノ秒しかありません。その短い寿命の間に効率よくレーザー光を照射するため、この実験では、高エネルギー加速器研究機構・物質構造科学研究所に設置されたパルス状陽電子ビームをナトリウム蒸着したタングステンターゲットに入射してこのイオンをパルス状にまとめて作り、それに同期をとった高強度のパルスレーザー光を照射するという特別な工夫が用いられました。さらに、ポジトロニウム負イオンを電場で加速して、その消滅によって生じたγ線のエネルギーをドップラー効果によって高エネルギーの方にずらし、他の陽電子の消滅によるγ線と区別する工夫もなされました。

3.成果

今回の研究成果は、ポジトロニウム負イオンの大量生成に続く重要なステップとして、ポジトロニウム負イオンにレーザー光を照射して、ポジトロニウムと電子に分離する「光脱離」に成功したものです(図1)。


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図1

ポジトロニウム負イオンの光脱離


図2に、測定されたγ線のエネルギースペクトルを示します。511keVの大きなピークは、陽電子がタングステンターゲット中で対消滅して放出されたγ線によるものです。529keVのピークは、ポジトロニウム負イオンの自己消滅によって放出された2本のγ線のうちの1本が、ドップラー効果※4によって511keVからこの値までずれたものです。レーザー光を照射すると、このピークが低くなります(図2右上に拡大図)。これは、ポジトロニウム負イオンが光脱離を起こしてポジトロニウムになったことを意味します。ポジトロニウムのうち75%は、3本のγ線に自己消滅し2本のγ線にはならないため、このピークには寄与しなくなります。このようにして、ポジトロニウム負イオンの光脱離が世界で初めて観測されました。さらにこの測定から光脱離の起こりやすさの指標である「断面積※5」の下限値を得ることに成功し、従来の理論計算値と一致していることも確認できました。


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図2

γ線エネルギースペクトル

(K. Michishio et al., Physical Review Letters, vol. 106より転載)


本研究は、東京理科大学大学院生満汐孝治、寺部宏基、立花隆行助教、長嶋泰之教授、高エネルギー加速器研究機構兵頭俊夫特別教授、柳下明教授、和田健特別助教、宮崎大学五十嵐明則准教授、東京大学の久我隆弘教授のグループによる共同研究です。本成果は米国の科学雑誌「Physical Review Letters」106巻(4月15日付、現地時間)オンライン版4月11日付、現地時間(4月12日付、日本時間)に掲載される予定です。

<論文名>
「Physical Review Letters」vol.106,153401 (2011)オンライン版(4月11日付、現地時間) "Photodetachment of Positronium Negative Ions"(日本語名:ポジトロニウム負イオンの光脱離)

[追記:記事初出時、「Physical Review Letters」106巻(4月8日付、現地時間)オンライン版4月6日付、現地時間(4月7日付、日本時間)に掲載される予定としていましたが、Physical Review Letters誌の予定変更により、掲載予定日が4月15日現地時間、オンライン版4月11日現地時間(4月12日付、日本時間)になりました。(2011.4.7 12:00)]

4.今後への期待

この成果によって、ポジトロニウム負イオンについてのさらに詳しい分光学的研究が可能であることが実証されました。また、ポジトロニウム負イオンを望みのエネルギーまで加速したのち光脱離させることによって、エネルギー可変ポジトロニウムビームの生成が可能になります。電子や陽電子はエネルギー可変ビームにして様々な場面で利用されているのに対して、ポジトロニウムを「探針」とする技術はエネルギーの制御が難しく、殆ど行われていませんでした。ポジトロニウム負イオンの光脱離によって得られるビームは、ポジトロニウムビームとしては未だ誰も手にしたことのないエネルギー領域をカバーし、これを利用して物質表面の分析やポジトロニウム自身の性質解明への道が拓けます。

<補足説明>

※1 陽電子
電子の反粒子。質量は電子の質量に等しく、電荷は正で電子の電荷の絶対値に等しい。放射性同位元素のβ崩壊や高エネルギーγ線からの対生成で得られる。電子と出会うと対消滅して2本または3本のγ線になる。
※2 ポジトロニウム負イオン
陽電子1個と電子2個の束縛状態(複合粒子)。平均寿命は0.479ナノ秒で陽電子と1個の電子が自己消滅し、2本のγ線を生じて(2光子消滅)1個の電子が残る。
※3 ポジトロニウム
電子と陽電子の束縛状態(複合粒子)。構成要素である電子と陽電子が対消滅してγ線になる。75%はオルソポジトロニウムと呼ばれる状態で、真空中では142ナノ秒の平均寿命で自己消滅して3本のγ線を生じ(3光子消滅)、残りの25%はパラポジトロニウムと呼ばれる状態で、真空中では0.125ナノ秒の平均寿命で自己消滅して2本のγ線を生じる(2光子消滅)。
※4 ドップラー効果
測定器に近づきつつある源から発された光は波長が短く(エネルギーが高く)観測され、遠ざかりつつある源から発された光は波長が長く(エネルギーが低く)観測される現象。
※5 断面積
粒子と粒子が衝突したときに、粒子同士の間の反応が起こりやすいかどうかを表す指標のこと。面積の次元をもつ。ここでは、光の粒子がポジトロニウム負イオンと衝突したときの、光脱離の起こりやすさを表す。

【本件に関する問い合わせ先】

<研究内容に関するお問い合わせ>
東京理科大学 理学研究科物理学専攻
教授 長嶋泰之
Tel:03-5228-8724
E-mail:ynagars.kagu.tus.ac.jp
高エルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所
特別教授 兵頭俊夫
Tel:029-864-5658
E-mail:toshio.hyodokek.jp
<報道に関するお問い合わせ>
東京理科大学 科学技術交流センター(承認TLO)企画管理部門 担当:近藤規久
Tel:03-5228-8090
Fax:03-5228-8091
E-mail:kondoadmin.tus.ac.jp
高エネルギー加速器研究機構 広報室長 森田洋平
Tel:029-879-6047
Fax:029-879-6049
E-mail:presskek.jp