2010年11月29日

LHCでの重イオン衝突において、ジェットの消滅現象を観測

2010年11月29日

欧州合同原子核研究機関(CERN)で稼働中の大型ハドロン衝突型加速器(Large Hadron Collider : LHC)におけるアトラス実験において、重イオンの衝突反応で、ジェットのエネルギーが大きく吸収されてしまう事象が初めて観測された。高エネルギー重イオン衝突では、宇宙の初期に起こった高温状態が再現できると考えられ、そのような状況でのクォークやグルーオンの奇妙な振舞いを表している可能性がある。

LHCでは、11月4日に今年の陽子・陽子衝突実験プログラムを完了し、鉛の原子核同士を衝突させる実験が始まった。11月7日に最初の衝突が観測され、11月8日から本格的な鉛・鉛衝突実験を開始した。衝突の総エネルギーは287+287TeV(TeV:テラ電子ボルト、1兆電子ボルト。1電子ボルトは1ボルトの電位差で陽子を加速したときに得られるエネルギー)であり、これまで人類が作った最高エネルギーの衝突である。

高エネルギー加速器研究機構(KEK)と14の日本の大学が参加するアトラス実験でも、鉛・鉛衝突事象の観測に成功した。多数の粒子が発生しているが、その中で、ある方向に集中して粒子が放出される事象(ジェット)も観測されている(図1)。


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図1

画像提供:CERN/ATLAS

アトラス測定器で観測された鉛・鉛衝突事象の例、下方と左上方に二つのジェットが観測されている。


ジェットは陽子や中性子(総称して核子)の内部にあるクォークやグルーオン(総称してパートン)が大角度に散乱された結果生まれてくる。それぞれの陽子から一つずつのパートンが出て互いに散乱することが多く、そのため陽子・陽子散乱では2つのジェットが同じぐらいの横方向のエネルギー(ET)を持って、互いに反対方向に放出されることが多い。


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図2

画像提供:CERN/ATLAS

正面衝突に近い事象での、逆方向に出たジェット同士のETの非対称性の分布(黒丸)。両方のジェットのETが同じ場合には0になり、反対方向に出たジェットが完全に吸収されると1になる。白丸は陽子・陽子衝突の場合で黄色の分布は重イオン衝突でジェットのエネルギー吸収がない場合のモデルの結果。実際のデータでの重イオンの非対称度が非常に高くなっている。


鉛・鉛など重イオン衝突の場合でも同様に、ジェットの生成機構は核子中のパートン同士の散乱と考えられる。では違いは何であろうか。鉛イオンは陽子82個、中性子126個からなる原子核である。この場合、散乱されたパートンは多数の核子の集団衝突が作り出す高温高密度の環境を通過することになる。この環境は、核子や中間子などの混合状態か、それとも多数のクォークやグルーオンがほぼ自由に存在するプラズマのような状態なのか?ジェットとなる高エネルギーの散乱パートンを「プローブ」として知見を得ることができる。

アトラス実験での鉛・鉛衝突事象でこのようなジェット生成事象を観測した結果、正面衝突に近い事象を選んだ場合、反対方向に放出されるジェットのエネルギーが著しく小さくなることを観測した(図2)。事象の例(図3)が示すように、極端に非対称なエネルギーのジェットを含む事象が多数観測されたのである。これは陽子・陽子衝突で見られたのと大きく異なる結果となった。


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図3

画像提供:CERN/ATLAS

非常に非対称な2ジェット事象の例。ETが100GeV以上のジェットが左下図の10時の方向に観測されているが反対側には小さいETのよく見えないジェットしかない。ペアでできたジェットの片方が吸収されたように見える事象。


アトラスの測定器はほぼ全方位にわたって高い精度でジェットのエネルギーを測定できる。反対方向に飛んだジェットのエネルギーが非常に小さくなっているということは、衝突でできた高温高密度の状態を通過するときにジェットのエネルギーが強く吸収されているということを示している(図4)。このジェットの消滅(ジェット・クエンチング)は、通常の陽子・陽子衝突の重ね合わせでは説明できない。アトラス実験はこの結果をPhysical Review Letter誌に11月26日に投稿し受理された。


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図4

画像提供:CERN/ATLAS

陽子・陽子衝突(上)と鉛核・鉛核衝突(下)でのジェット対発生の模式図。今回の実験結果は鉛核・鉛核衝突ではジェット対のいずれか片方が抑圧(クエンチ)される。


アトラス実験責任者のファビオラ・ジァノッティ氏は語る。

「アトラス実験は、他の実験に先駆けてジェット・クエンチングの現象を観測できた。この結果を非常に短期間で出すことができたのは、若い研究者達が昼夜を分かたず熱意を持って進めたからであり、誇りに思う。」

解析の責任者であった米国コロンビア大学のブライアン・コール教授は、以下のようにコメントした。

「(これまで最高エネルギーの原子核・原子核衝突を行ってきた米国ブルックヘブン研究所の)RHICでの結果も考えると、このように極端なジェットの減衰は、クォークとグルーオンのプラズマ状態ができており、それがジェットと非常に強く反応してエネルギーを落としていると考えられる。」

原子核・原子核衝突実験は12月6日まで続く。12月2日にはCERNにて他の実験の成果も合わせてセミナーが開催される。

LHCでの他の実験であるALICEやCMS実験でも、アトラス実験とは異なった特徴を持つ測定器を使って、重イオン衝突を研究しており、それぞれ興味深い結果を出しつつある。陽子・陽子衝突と比較しながら進めることで、多数の核子が関わった衝突の研究を広汎に進めることができる。原始宇宙には、高温状態で多数のクォークとグルーオンがプラズマ状態になっていたと考えられ、そこから核子が作られ、最終的にたくさんの元素からできている現在の宇宙がある。3実験による、ジェット・クエンチングやそのほかの現象の観測から、この宇宙初期のプラズマ状態の研究が大きく進むとともに、クォークとグルーオンとの間で働く強い相互作用の理解ができると期待する。

「今回観測しているのはジェットであるが、解析では他の要素もきちんと見ることが大切である。」KEKの徳宿克夫教授は言う。「ジェットのエネルギーが小さくなっていると言っても、もし代わりにその方向にミューオンやニュートリノなど、エネルギーを測定しづらい粒子が出ている場合には、ジェット・クエンチングではない。アトラスでは高精度のミューオン測定器や、カロリメータがほぼ全体を覆っているため、そのような可能性を排除できる。すべての測定器の情報を駆使した解析である。」

LHC加速器は2010年3月末に本格的な衝突実験を始めた。加速器の性能が半年で百万倍近く向上し、11月初めまでに、重心系エネルギー7TeVでの陽子・陽子衝突で、収集したデータ量の指標となる積算ルミノシティーという量で約40pb-1のデータを収集した。これまでに発見された粒子で一番重いトップクォークが、数千個作られている。ここからのデータ解析も進んでおり、既に、トップクォークも含めてこれまでわかっているほとんどの粒子をアトラス実験で再発見できている。現在はその先の目標に移りつつある。

「超対称性粒子などの新粒子探索が順調に進んでいる。これまでの最高エネルギーだった米国フェルミ研究所のテバトロン実験では到達できなかった未知の領域に踏み込んでいる」東京大学の小林富雄教授は語る。

12月6日に重イオン衝突実験を停止させた後、CERNはクリスマス休暇に入る。来年春からは、陽子・陽子衝突に戻り、2011年末までには、1000pb-1のデータを収集する予定である。重イオン衝突実験も来年11月にまた1ヶ月行うことになっている。